《新風青嵐の放談コラム》9月号

大海と、空の高さと、土の温もりと

【放映日9/10、投票前日】
 今春、たまたま新聞の広告で見かけた“農家お手伝い隊”にダメもとで応募したところ、東京農大のめんこい女の子達が、研修に来ることになりました。
 ついでに、ローカル放送ですが、彼女たちに密着してのドキュメント番組を9/10に放映するとのことで、“ひら農園”昨年に続いてのTV出演に、今夏、マダムヒラリーのモチベーションは寒暖計と一緒で上がりっぱなしです。

 以下は彼女たちに向けたエールと、マネジメントをしてくれた事務局にあてたレポートです。暑い夏を初秋にて振り返ります。

「畑のただ中が、君たちの根を張る土となる」

【畑の中心で叫びたくなる?】
 WTO本部のあるスイス・ジュネーブから帰ってきた途端(7/28)、北海道には前線が張りついてしまい、収穫を目前にした小麦は、もう、待った無しの状態でジリジリしていた。

 平成17年産の小麦から、従来以上の厳しい品質取引が導入されたが、新制度は主産地北海道の麦作生産者の努力度の評価を、必ずしも公正、正当に評価するものではない。
 例えば、国産小麦の70%が北海道産小麦だが、内、約半分が十勝産のホクシン小麦でAランク相当の精算単価で取り引きされていた。現場では「より求められる良いものを…。」を合い言葉に、取り組まれてきた証がまさにそれである。

 しかし、実需者にしてみれば、本来希少価値のあるものに対しての“プレミア”が国産小麦の数量ベースで約半分に近いものが対象となるのは制度疲労を意味する…との主張で、本年産からは“FN(フォーリングナンバー)”、“容積重”、“灰分”、“タンパク”の4項目からなる適正数値の該当するものに限って、傾斜配分による精算方法が導入することとなった。

 断っておくが、ハードルが高くなったことに対して不平不満を言っているのではない。
 例えば、“灰分”などは我々生産者の営農技術ではいかんともしがたいものであるし、“FN”は収穫時期の天候によって大きく左右される。“容積重”、“タンパク”はもちろん適正数値内の品質に向けての取り組みは、努力と工夫次第ではあるが、それでも天候や地理的な諸条件による二次的要因が大きく、出たとこ勝負の様相だ。これでは私達の営農技術の取り組みを公正な物差しで測ることは出来ない。
 生産者の表現しきれない焦燥感と、それでも目の前に迫る収穫目前の小麦に正対し、畑の中にいると取り残されたような錯覚に陥り叫びたくなる。誰も聞いてはくれないが…

 そんな小麦収穫シーズンも、8/5からのサバンナティックな天候で一気に最盛期を迎え、第4コーナーを回りホームストレートに差し掛かった8/7、かわいい女の子達がやってきた。
 東京農大からの“農家お手伝い隊”である。
 早速現場で合流し、コンバインのナビゲーションステージから小麦の収穫をみてもらう。農地が急狭で人口密度の高い我が国にも、こんな生産現場があることを、この期間をとおし彼女たちはいくつ体感し知ることになるだろうか。

【グッドタイミング】
 今春3月、『新食料、農業、農村基本計画』が閣議決定され、平成19年産から農業の担い手を施策対象に政策転換を迎える中にあって、動議付けの高い“農家お手伝い隊”が北海道農業の現場に向かい合うことは私にとっても、また彼女たちにとっても良い機会を得ることになったと思う。
 特に、参加した彼女たちが持っているテーマについて、例えば産業政策とパッケージで導入することになる環境保全型農業に対しての支援制度や、持続発展可能な農法により生産された農産物のマーケティング(まさに北海道畑作輪作農法がそれ)、EUのCAPに観る直接支払制度などの海外農業の事情、生物農薬など、担い手農業者を代表するものとしてその最前列にいて、多くのものを体感し、その政策議論に参加していることを、彼女たちに伝えることが出来ることは私自身意義の大きいことである。

 それと “農家お手伝い隊”を当てにしていたわけではないが、収穫最盛期のサヤインゲンはまさにこの期間がベストタイミング。朝夕の涼しさに助けられてはいるが、日中は北海道でも珍しい連続の真夏日に、これまたインゲン畑の中心で彼女たちの叫びが聞こえてきそうである。

 こんな時期だと、とりあえず目の前のものは清々粛々とただ寡黙に黙々とやらなければいけないが、逆に夫婦間の意識も、『これからこの農園どうするのよ…』を醸成する良い季節でもある。
 とりあえずというわけではないが、規模拡大路線。(農地が余ってくる。)
 しかしそれには投資的(原料型作物の限界)にも、労働力的(遊休労働の枯渇)にも限界がある。むしろ体験農園事業を延ばして多角経営を目指した方が…
…が、マダムヒラリーの希望でもあるが、浮気な観光客相手に、一歩踏み出す勇気があるのか?
 いずれにしてもこのままで良いということはない。

【農業大国十勝】
 限られた日数の中で、その全てを体験、学習しようと言うのは無理な話であるから、補完する意味も含めて食料基地北海道の更にその中の“農業大国”十勝の横顔を紹介する。
(全国共同出版/ JA経営実務5月号の掲載文から抜粋)

(自由の大地)
〜略
 十勝の開拓の歴史を語るとき、最も特徴的な事象が『無願開墾』にあると歴史家は言う。
 道央(札幌近郊)の石狩、空知といった地域は稲作主体の開拓使・屯田兵による官主導の開拓であったのに対し、十勝の開拓は民主導で府県から開拓団を導入し、人踏阻む柏の原生野を、当時の道庁は“もぐり”による開拓を黙認し、十勝平野を拓いていった。開拓者は、行政の後ろ盾もなく大きなリスクを背負いながら、しばれる原野と時に大暴れする十勝川を相手に自由の大地を手に入れていったのである。
 このことを後に『無願開墾』と言い、十勝農業の、あるいは十勝人の気質である“モンロー主義”の源流になっていると解説する者もある。

(土を継ぐ)
 その大地は百有余年経って、構造改革が先行している我が国有数の農業先進地と、評価されているが果たしてそうか?
 十勝平野は決して平野ではない。十勝川は東西南北に従える中級河川を束ねる集合河川である。よって平野は“河岸段丘”で構成されている。河川縁にあたる沖積地帯は河川の氾濫の度に豊沃な土壌が供給されるが、段丘台地は森林洪積を形成し土壌の活力はやがて枯渇する。
 加えて十勝の土は大半が北の十勝岳、西の樽前山、東の阿寒・千島と酸度とアルミナのきつい火山灰がベースになっており、元来作物の栽培には適さないと言われている。更に、火山性土壌は粒子が細かく風に飛ばされやすい。春の“日高おろし”は萌芽した作物の芽を我々農家の希望と共に摘み取るまさに“きちがい風”である。

 条件というなら、決して良くはない。むしろ劣悪な環境である。いつ来るとは分からない冷害におびえ、それでも農民は明日へ継ぐ土を我が子に、孫に遺してきた。
 その耕地を先人達は、更に欧州農業の四圃式をアレンジに、小麦、豆、馬鈴薯、甜菜の4年輪作を基礎に農業の近代化と大規模経営を確立し、生産基盤と農家経済を確固たる地位に押し上げ、地域独自の文化、あるいは農業を頂点とする産業城下町を形成してきた。

 広大な農地は先人の汗と血の結晶の証として、単に農民の努力などという生優しいものではなく、生き残りをかけた、まさに淘汰の繰り返しからなることを理解しなければならない。

 こんなエピソードがある。
 開田が進み、米の増産が期待され基盤整備が進んだ近代農業の草創期。
 稲作農家は十勝にあっても地域の経済、文化のトップリーダーであったが、昭和40年代半ばから、国の減反政策で転作を余儀なくされた。大豆、小麦などはもともと湿性土壌に適さないから満足に穫れない。農家の生産意欲は減退し、結果いい加減な作り方になる。
『穫れても穫れなくても奨励金が貰えるからいいべゃ…。』
今で言うところの“捨て作り”である。

 しかし、真面目に作っている近所の畑作農家は黙っていなかった。
『やるべき事をやっていないで、奨励金とは何事か!』
『共済金まであたるとは泥棒に追銭だ!』
…そうやって集落の会合で“捨作農家”はつるし上げられたのである。そしてそういう農家は地域からやがて排他されていった…
 十勝の農家は決して駄農を許さない。おそらくは開拓当時も、減反政策当時も、政策転換が求められている現在も…
 私を、私たちを動かす農の魂には、そういった遺伝子が連綿と継承されているのである。

(主産地の実力)
 では、十勝の農家、農業とはどういうものなのか。端的に数字で見ることにする。

《北海道畑作主産地の実力》 〜平成14年度集計〜
◆十勝原料作物・面積の国産生産量に占める割合
小麦生産…32% ・馬鈴薯生産…33% ・てん菜生産…45% ・いんげん生産…80%
小豆生産…36% ・生乳生産…11% ・飼料用トウモロコシ面積…18% ・牧草面積…13%
農家戸数:7,330戸…0.2% 主業農家:6,500戸…1.4% 
農業粗生産額 2,350億円

 十勝の主業農家6,500戸の内、4,200戸ほどが耕種農家で2,300戸ほどが酪農、畜産農家である。したがって、全国の主業農家の約1%にあたる耕種農家(畑作)が国産小麦の約3割を生産していることになる。
 この話を東京ですると、
『さすが十勝の小麦農家はすごいですね。』
となるが厳密に言うと、十勝に純粋な小麦農家はいない。つまり小麦農家は同時に豆農家であり、馬鈴しょ農家であり、てん菜農家であり、野菜農家であるのだ。
付け加えるならば、十勝は酪農大国でもある。全国の主業農家の0.5%に満たない酪農家が、我が国の生乳生産量の約1割を担っているのである。

 だから、農水省が“耕畜連携”などという言葉を使う30年前から、当たり前のように、畑作農家は麦桿を敷藁として酪農家に提供し、酪農家は堆厩肥を畑作農家に還元してきた。地域内の有効資源を利活用し、適地適作、適正輪作をはかりスケールの大きい土づくりに挑戦し続けてきたのだ。
 その結果、耕種品目でも、酪農の生産環境でも収量水準、生産水準はEU並、もしくは世界のトップレベルである。ちなみに農業粗生産額は福島全県の粗生産額に匹敵し、新潟県の米の生産額とほぼ同額である。
 しかしそうした生産環境は多くの仲間の犠牲と、表現は適当ではないが、弱者が淘汰され、残るべくして残る者のみが生き残ってきたことを認めなくてはならない。

 このように緊張感のあるの競争を実践してきた農民の姿がここにある。
 生産者の意志の結集と、産地を育てるビジョンを自ら描き、たとえ原料作物であっても、より実需者に愛されるものをより安定的に供給する生産責任を果たしてきたことが、我々の誇りであり、自負である。このことを称して自らを“プロ農家”というのだ。
略〜

 捨作批判は、平成14年、当時EUで問題なっていた小麦の“赤かび病”から発生する毒素、“DON(デオキシニバーレ)”が長期間摂取することよる人体の影響を問題にしたことが発端になっている。
 つまり、転作農家が言うところの、十勝、北見の小麦本作農家(ちなみに自身のことを本作農家なんていう言い方はしない。)は“赤かび病”防除対策などは20年も前(チホク小麦の時代)から当たり前のように取り組んできた基本技術であるが、そういった小麦と、“穫れても穫れなくても奨励金が貰えるからいいべゃ…。”という捨作小麦とを制度上公平に扱うことは出来ないのではないか…、という主張である。
 ちなみに現在でも、転作奨励金は産地づくり交付金と名前を変え、捨作農家の眼を安穏として覚ますことをしないでいる。
 そしてそのことを、国民は“バラまき農政”と批判しているのだ。

【生産者の規範と施策対象責任】
 EUのCAPは生産者の規範を明確にし、特に環境配慮に対してその取り組みにコンプライアンスをかけている。つまり、ただ小麦や甜菜を生産していればそれで良い、ということではない。
 それなりの施策対象責任が発生するものをまず自覚し、国民の負託に応える農環境の維持を産業行動の延長線上に見いだすことが出来なければ、環境保全型農業の制度設計も、また、生産者自身の取り組みも座礁する。
 本町が本施策の調査対象地区に当たっていることから、昨年来より現地ヒアリングが行われている。霞ヶ関担当省庁の某課長に向けたメール配信を補足説明として掲載する。

〜略
(ホタルは綺麗だけれど)
 意見交換中、『ホタルを見てお腹は膨れない。』の発言について、町長の心証を悪くしたことは確信犯ですが、それを美しいと思えるにはやはりある程度の基礎体力(経済的なバックスペース)が養生されていなければならない、心が満たされる文化の育みは、農家経済、地域経済などの最低限の社会環境が充溢していることが条件なのだと考えます。
 つまり、その主旨の発言は現場のうめき声、悲鳴に似た、既に限界点に近いことを表現しているものであることを理解していただきたかったわけです。当農園のわき水に生息する“エゾ山椒魚”も後世に遺したいと切望する一方で、焦燥感に苛まれている現場を感じていただきたかったのです。

 そのことを、既に旧基本計画の策定の年度内(平成13年3月)に帯広で畑作担い手の生産者との現地ヒアリングを農水省企画評価は開催し、平成15年7月の皆川課長(当時)の来道につながったことを、携わった参加者の最前列で、新時代の農業を体現する実践者として十勝の大地から私達は叫んできたのです。

(行政マンの仕事とプロ農家の視点)
 さて、その叫びは「このままじゃ喰っていけないから何とかしてくれ。」と言う種類のものではありません。

 皆川課長来道前夜、帯広で青年部役員の作戦会議が開かれました。
〜何を主張し、何を見てもらうか〜 ここで行政マンやJAなら“如何にこの生産環境を維持していくのが大変か”が手法だったのでしょうが、少なくとも現場のプロ農家はそれを良しとしませんでした。
『俺達は決してショボくない。苦しいが決してショボくない。』
・EUの生産水準に負けていない。それは先人達からの努力の積み重ねだ。
『あるままを、見て感じてもらおう。プロ農家の自負と誇りを飾らず聞いてもらおう。』
・ASWに匹敵する実需者により愛される小麦を生産しているじゃないか。
『現場から自己発信しよう。その俺達のフィールドは日本の食料庫だ。』
・皆知らずにメイドin十勝を食べている。
etc…

 振り返ると、行政マンの手法は予算を最大限確保することに一定の効果はあったかもしれません。(これは善意のエラーかも…)
 しかし、同時に農業者の意欲や気概までも、折っていった感があります。つまり、「俺達は駄目なんだ。」と…
 これからは、少なくともJA青年部は『プロ度を公正に評価』した結果としての施策支援であり、『施策対象責任』を全うするだけの最低限の能力を持った者達(プロ農業経営者)に対し、国民は(納税者は)『寄託』(支援、助成ではなく)することを主張するものです。例えば、環境施策に関して言えば、『寄託』は委託管理や、投資と言う表現でも理解されるのではないかと考えます。

 ですから、当農園のデーター例を出したのには、『草刈りをするのが大変だから何とかしてくれ。』というものではなく、実労8時間で約30日(230時間)、延べ面積約30haの生産資源管理への取り組みと、水田・水資源を介し地域住民を巻き込んだ生態系資源の保全の取り組みを同一のテーブルで議論できますか?…を主張したかったわけです。
 決して、「更にハードルがかけられなければ、支援されない。」…のであれば、北海道畑作平場はこの施策の必要性を認識していない、または助成措置は要らないと言うことではありません。
 現状イッパイいっぱいの中で、あの限られた席では、更に限られた準備期間の間には、地域住民を巻き込んだ理論誘導、あるいは環境配慮の意識醸成を促すのは、たとえ助成措置があったからと言ってそれは後付になってしまうという意見であります。
 そうです…。私達はもう既にやるべき事はやっているからです。
〜略

 例えば、農薬は“必要悪”のような言われ方をしているが、それは本質を捉えているか?
 世界的に最も食され愛されている基本食材“じゃがいも”。
 1960年代後半からその生産水準は飛躍的に伸びたが、最も大きな要因は疫病防除剤『マンゼブ剤』(商品名:グリーンダイセンMなど)の登場であるといわれている。もし、この薬剤が開発されなければ世界の飢餓は今のレベルではない。
 ようするにその道具を“人間”がどう使うかだ。
 原子力の“へい器利用”と“へい和利用”一字ちがいだが性格は全然違う。それと同様だと考えている。
 農薬の認証や登録には様々な政治力や雑念が介入したりするが、少なくとも、安全な農薬などはあり得ないが、正しい農薬の使い方は最低限守られるべきである。
 もちろん農薬のみではなく、業界の表示義務違反など、消費者は何を信じればいいか不安で堪らない。むしろ大地に真摯に向き合い真面目に取り組んでいる生産者の方が、圧倒的に多い。
 だからこそ残念でならない。土に向かう真剣さと同様に、食卓で食べてもらうことを真摯に見つめる業界関係者の感受性は、今から研磨することは適わないのだろうか?

【盆踊り…農村社会の文化とコミュニケーション】
 地元の小学校が閉校してから2年。名残惜しさはいつの間にか薄れ、新たな地域社会のコミュニケーションが構築されようとしています。
 “盆踊り”…この農村社会が開拓されて約100年間、絶えることなく続いた地域の事業も、その時代毎に様変わりしてきました。そしてこれからも、新たなものを創造しながら変わり続けるのだとおもいます。
 それは、先人達の英知と情熱を私達が継受し今があるように、この受け継がれるべき意志を連綿と次代に継承していくのがこの時代に生きる者の努めだと、日に焼けた彼女たちの腕をみて、逞しくなった長男のトラクターの操る腕をみて強く想うからです。

 農業はただ単に、農産物の生産のみを行うものではありません。そこには愛する家族が住み、愛する郷土があり、それらと渾然と有機的に関わりを持つものです。
 豊かな農村は、単に生産基盤が強化され充実しているのみを言うのではありません。基礎体力のある生産環境、経営環境を基とし、地域の期待に応え、社会に貢献する活力ある人材から、潤いのある文化を育み、憩いと癒しを提供する“人に優しい空間”こそが豊かな郷土、農村と言えるのです。

 そして、私はその愛する郷土と愛する家族と共に生きる農業人、地域人でありたいと想っています。
 希望ある未来の子供達の、大地と緑を守り育むための農の防人として…

 その盆踊りに“農家お手伝い隊”の彼女たちも手伝うことになりました。彼女たちにはそんな深遠な農村の実態と、農村社会のコミュニケーションが、生涯学習に通じる貴重なものであることを、地域事業の参加をとおし理解して欲しいと思います。

【視るべき眼、聞くべき耳】〜人生の先輩ずらしてなんなんだけど〜
 たたけば跳ね返るような彼女たちだから、お世話する甲斐がありました。
 もちろん私達にも言えることですが、普段何気なく過ごしてきている漫然とした時間と空間の中にも、そこに息をしている理由は必ずあるわけで、それが“視るべき眼”(洞察力)なのだと思います。

 特に仕事は、“やらされている”と思ってやっている内は絶対上達しないし、そこに何かを見いだすことはできません。プロのスポーツ選手がよく言う“やらされるトレーニングでは無く、自らがやるトレーニング”でなければ本当の意味での生産ではありません。もちろん能力は個人差があることを前提とした話ですが…
 更に“聞くべき耳”は、彼女たちのスポンジのような吸収力の高い知識野の強力な武器です。まず、『なぜですか?』を発してみるべきです。想ったとおりのあるいはそれ以上の応えがかえってくるはず…
 もう40歳にもなると、つい知ったかぶりしてしまってなかなか素直にそれが出来ません。そういう意味でも彼女たちの若さが羨ましい…

 そんな刺激や可能性は、新たな出会いから生まれることを理解しましょう。また来年、機会があればその新たな出会いを求めるていきたいと思います。
 これからの色々な出会い…その一つ一つは宝物です。お金では決して買うことの出来ない体験です。

 それら全てが、彼女たちの根を支える“土”になる。
 人はその“土”から離れて暮らすことは出来ない。
 そして、私達はその“土”を今日も耕し、創っている。

 遠い北海道の大地からエールを送りましょう。
 関係者の皆様に感謝します。

8/19

【また、必ず、どかかで会おう!】
 上京の折、彼女たちと想い出話などふけりながらのデートなんか出来たらいいと思っています。  もちろんその場合、ミセスヒラリーの公認を取り付けていることが最低条件ですが…

Copyright(C) 2007-2008 ひら農園 All rights reserved.

inserted by FC2 system