《新風青嵐の放談コラム》11月号

大海と、空の高さと、土の温もりと

『汗の重さ』

【飢えてたまるか!】
11月16日、晴。
東北・北海道ブロック統一行動『青春チャリンコリレー』の、ゴールである代々木青少年総合センターに到着したのは、予定より若干早い時間。
全国消費者大会の会場にタスキを継なぐ想いにこたえ、出迎えてくれた盟友と、応援をいただいた関係者の激励と労いの拍手と笑顔に包まれ、笑う膝小僧に力を入れ直し、東京の大地に起ちました。

8月25日、北海道札幌を出発し、実日数約30日、総走行距離1,919km、サイクライダー延べ人数約380名、後方支援、側面支援に携わったスタッフは500名を有に超え、やり遂げた充足感を表現する術を私は持ち合わせていません…

【再会】
 時計の針を戻します…
 11月13日夕刻。福島県は白河、東京に向けての最終ラウンドを走破する使命を帯びて、戦士達が集結しました。ホストの福島県青連の役員の皆さんや、関係者と打ち合わせの後、大懇親会となり飛び出したい気持ちを抑えての“白河の夜”は忘れ得ないものとなりました。
 宴席を用意していただいた地元盟友の皆さんには特に感謝します。

 翌14日早朝、いよいよ出発の段。ドライバーズキャプテンが遅刻するというアクシデントがあったものの、ホテル駐車場にて資材の搬入。
 再会…
 物言わぬ自転車は札幌出発の新車の時から見て、明らかに逞しくなっていました。
 同時に満身創痍の感、よくやってきたなと心でつぶやき、ハーベストイエローのタスキには汗の重さとつなげた想いが、ずしりと染みついていました。
 勇み、はやる気持ちを抑え再出発地、JA白河へ。早朝冷え込みの強い中、職員の皆さんが温かく出迎え、そして送り出していただきました。

【ルート4・南下〜宇都宮】
 この時点でのスタッフは、6名。
 ブロック長・橋本委員長(秋田)、ドライバーズスタッフ統括・斉籐会長(山形)が第1班。ナビゲーターズリーダー・鎌田委員長(福島)、と救護班長の私、平(北海道)が2班。最年少エース岩崎委員長(岩手)、メンタルケアバイザー古坂委員長(青森)が3班。
 アップダウンのきつい山岳地帯を15分から20分、約5キロを交代で次走につなげました。
 栃木県に入り、更に那須を過ぎると道路は平坦になり、かつ路側帯が広く歩道もある。快調に飛ばせれる内は飛ばそう!の判断で、1班それぞれ10km、約30分をノルマに、概ねコンビニの駐車場などでの交代を心がました。

 国道4号は生活道路兼産業道路でもあり、交通量が多く、特に大型車が追い越していくときは要注意です。なので、周りの景色を眺めながらの余裕は以外とありませんでした。
 ただし、鬼怒川の橋を渡るときは、さすがに昨年の50年目の鬼怒川会議が思い起こされ、感慨深いものがありました。

 この作戦は、思いの外順調で白河−宇都宮間90km(各自30km)をインターバルをとりながらの、比較的身体に大きな負荷がかからないものとなりました。
 結果、宇都宮での宿泊予定のホテルに到着したのは、車が駐車場にチェックインできる時間の2時間以上も前で、おかげで市内の消流視察と心身共にリフレッシュすることが出来たのは、初日としてはこれ以上のない滑り出しでした。

【宇都宮の夜】
 今回、地元の行事で調整が大変だったワンポイントリリーフの遠藤委員長(宮城)が合流し、1日目の反省会とあらためての結団式を行いました。
 昨年、全青協鬼怒川会議前夜が宇都宮でしかも灼熱の夜だったことから、少なからず好印象があった当夜も、“あと、2日”の肉体作業に自粛せざるをえず、それでも十分に満喫し大いに語り合った夜でした。

【アクシデント】11/15:宇都宮出発
 宇都宮出発時には、昨年の関東ブロック理事で栃木の室井氏に見送りをしていただき、僚友との握手に確実な前進に向けての力を与えていただきました。
 昨夜からの雨は止み、少し肌寒いくらいの出勤時間の中、第1走のエース岩崎選手と嵐を呼ぶ男・遠藤選手がスタートします。

 農業新聞の取材スタッフを同乗させての道のりも、第2走、私と鎌田選手に引き継がれて、終始このコンビは、私がもちろん不案内と言うこともあり、鎌田選手つねに先頭を走っていただきました。
 福島県青連のあの、“ウォークラリー”に参加した歴戦の勇者で、速過ぎず遅過ぎず、私に気を使ってくれた最高最良のペースメーカーでした。

 アクシデントは私の車輌、2走をバトンタッチして5kmほどの地点でそれは突然起きました。
 後輪の“パンク”…
 すでにタイヤのラグはその形状を体せず、タイヤ自身も相当痛んでいました。ましてや私のこの体重…申し訳ない気持ちでいっぱいに…
 見れば、建築用のビスがタイヤ中央部を射抜いていました。
 早急に対処、連絡を取り合い、鎌田選手には先行して足を止めず、修理しだい後遂することを決め、伴走車輌に自転車を回収し信号2つほどを戻り、自転車屋にてパンク修理を依頼しました。これからのことも考えてチューブごと替え、斉籐選手が猛追の顛末この事業のハイライトでした。

【土塊の手・油埃の手】
 この時パンクを修理したちょっともてそうなお兄さんの“手”も機会油のしみ込んだしわの深い仕事の出来る“手”です。みればワーキンググローブをはかないで素手で修理します。
 おそらく、このお兄さんにも、可愛い嫁さんと育ち盛りの子供さんがいるはず…
 そしてこの油と埃まみれの“手”が愛する者達の笑顔を守っている…我々の土塊の“手”と同種です。
 「気をつけて、頑張って下さい!」
の声を勇気にかえて、一路草加に向けて自転車のギアを最速に入れ直します。

【最大の難所・利根川渡り】
 最大の難所と目されていた利根川渡りは、その交通量に比して道路の幅が狭いこと。
 特に国道4号にかかる橋は路側帯と白線で1mに満たない幅です。
 かくしてこの難所を私と、鎌田選手が担当することになったのは成り行き上とは言え、鬼怒川渡しの縁か、はたまた因縁かわかりません…
 とにかく冷や汗連続の利根川渡り。渡りきって待っている仲間の笑顔に肩の力が一気に氷解します。頼もしくも逞しい同士達です。

 草加。
 関東甲信越ブロックの仲間達が待っている目的地まで、若干早くつきそうになり、これまた成り行き上交代無しのラストラン20kmを担当したのも、私と鎌田選手でした。
 とりあえず草加駅を目指してのラウンドは、道すがら出会う人たちに尋ね確認しあいながらの走破となりましたが、ペースも極端には落ちることなく順調に目的地までたどり着きました。多くの仲間とゴールでの記念撮影は翌々17日、農業新聞関東版に掲載されました。皆、満面の笑み…

【草加…“関東さんは決してサロンじゃない!”】
 草加の夜、ブロック間交流は、飲めや食えやの大懇親会。
 語り合い、悩み合いながらの夜は、政策議論はもちろん、組織論、事業改革にまで及び夜を徹しって、ラストランに備えての身体の準備もそっちのけで、ご当地ソングによる“紅白歌合戦”には、少々たがが外れた感を否めませんでした。

【目指すは東京】
 11/16、草加を8時出発。
 先ずは中間ゴールの大手町全中ビル。岩崎、古坂の両エースが担当。到着後、全中宮田会長に事業の報告、皆緊張する中、相変わらずとんち問答のようなやりとり…
宮田会長:「どこを走ってきた?、高速は…」
平:「高速は自転車は走れないと想うのですが…」
宮田会長:「うっ!そうだ、そうだな高速は無理だ。」

 次のゴール、代々木青少年総合センターにむけ羅針盤をとります。
 ブロック長と私の走行は、前日黒田家の結婚式があって都内は厳戒態勢(?)のせいもあり、2度ほど自転車が止められましたが、大過なく皇居を過ぎてあの、Qちゃんが失速した坂をのぼり、国立競技場(当日サッカー)、神宮球場(駒苫優勝)を経て、若者の街原宿に…
 時間にも余裕がありましたが、代々木公園をショートカットすることに…
 ここで思いがけない光景に出会うことになります。

【豊か?飢えているか?】
 代々木公園に入った途端、その光景は行く手の其処此処にあり、否応なく視界に飛び込んできます。

 ブルーシートと段ボールの家々。
 都心から10kmと離れていない場所で、以前ほどではないとは言え、この現状を直視すると、日本はどこに向かっていこうとしているのか、私達は果たして裕福か?貧しいのか?わからなくなってきます。

 “飢えてたまるか”自転車ののぼりがむなしい…
 先進国中我が国の食料自給率は最低の40%。
 なんと、6割の食料とそれに見合うエネルギーを海外に依存しているのです。そうしなければこの国の豊かさは守れないのかもしれませんが、例えば、宴席会席のあの生ゴミになる食べ残しは、我々の訴えるところと座標軸が交わることのないのパラドクスになっているようで…
 消費大国日本の終焉を告げるかのような、またその吹き溜まりの巣窟にブルーシートの家々を見て我が国の将来を憂いてしまうのです。

【霞ヶ関・農水省】
 中川大臣の握手に皆、想い以上の力が入ったのではないでしょうか。
 約40,000の署名を集めそこに託す想いは、少なくとも現場の汗がいつの日か報われることと、豊作の喜びが等しく国民と分かち合えることが出来ることを願っての“食料主権”の主張です。

 もちろんその負託に応えていくために、私達は『やるべきをやり、いうべきをいう』を理念とし、さらに前進するのみ!
 まだ、旅は終わらないのです。

【ありがとう】
 白河〜東京霞ヶ関間、約210km。
 自身の担当した走破距離、約80km。お尻の痛さは後を引きましたが、後の反省会の爆笑ネタになりました。

 盟友、事務局、関係者、沿道から応援をして下さった皆さん…、たくさんの支援と協力の下に、成し遂げた事業であることはもちろん、見えない何かに推され導かれての走破に、ただ、ただ“ありがとう”のことば以外を思いつきません。
 おそらくは二度とない貴重な体験から、僚友と共有したことを生涯の宝物を手に入れるのです。

 土塊の農人の魂の叫びは決して止みません
 土を継なぐ想いを希望の大地に託すからです
 そして今日も、その大地に私達は起っています

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