《新風青嵐の放談コラム》12月号

大海と、空の高さと、土の温もりと

『ニュースに振り返るこの一年』

 香港から帰ってきてから、いきつく暇もなく東京の会議が飛び石で入ったり、札幌日帰り座談会があったりと、あわただしい年の瀬を迎えています。やっとゆっくりできるなぁー、と机に向かえば宿題の山々…

 心静かにこの一年を振り返るなんてことは、マダムヒラリーの大掃除の気合いにかき消され、出来そうにないのが実状です。
 さて、今月号はちょっとベタだですが、自身の身のまわりに起きた(もちろん青年部関係を中心に…)“ニュースな出来事/この一年”にまとめて、今年最後の放談コラムを締めくくります。

【祖母永眠】1月
 平成16年の年の暮れから入院していた祖母が、年を越えての1月21日に天国に旅立ちました。

 真冬の北海道は住環境も厳しいし、行動も制限されることから年々、弱っていくのが家族の気がかりでしたが、歳のせいとも諦めつつもやはり長寿を願うのは家族の共通した想いです。
 青年部の事業で留守しがちな優秀(か、どうかはわからないけど…)な孫を気遣って、意識のあるうちは最後まで『和男はどうしてる?』を口にしていたと言います。

 私は孝行らしいことは何一つ出来ませんでしたが、祖母が亡くなった一報を家族から受けたのは、全青協理事会が終了し会議室を離れる直前でした。これがもし、羽田空港に到着した直後だったら切ないものがあるなぁーと、不謹慎なことを想像しましたが、最期まで孫想いの祖母でした。
 ちなみに49日法要は全青協の臨時総会で欠席。つくづく不孝行な孫です。

― 享年91歳。大正、昭和、平成と北海道開拓と共にあった、激動の時代を生き抜いた尊敬すべき先人です。 ―

【全青協副会長立候補表明】JA全国青年部大会:2月
 “やればできるは魔法の合い言葉”ではないですが、中原道青協前会長に魔法をかけられ、全青協の舞台に立つこととなりました。
 創立50周年という節目にその多くをかけがえのない出会いと、貴重な体験をもって振り返るとき、記念大会の全青協副会長立候補表明は会場の拍手と、激励を真正面から受ける感激は、生涯の宝物となります。

 この日程に合わせて、上京してくれた北海道、地元十勝地区の役員、部長の2階を正面にみて、『大地に起ち、太陽に感謝し、雨に悦び、風に笑う農の防人として…』のフレーズから緊張と、快感と、武者震いが混じった複雑にふるえる膝を止めることが出来なくなりました。
 背中を押してくれる僚友の存在に、あらたな可能性を感じました。

【Go to the Start】晴の表彰台:2月
 全国大会終了の後段、このことを振り返って全青協にあてた自身の報告書があります。

―“Go to tha Start”を忘れない ―
 2/11、足寄は快晴
 今朝の最低気温はこの時期にしては冷え込んだ氷点下18度。無風。
 全十勝小学校選抜スピードスケート選手権大会は各方面大会とミニスプリント大会の上位入賞者のみエントリーが可能な、スピードスケーターの甲子園。業界では“足寄選抜”といわれ、足寄町営リンクはまさにミニスプリンターの聖地である。

 過去には、世界のトップスケーターの清水選手や、島崎選手も滑走し、幾多のオリンピックプレーヤーを生み出した伝統と歴史のある大会でもある。
 リンクサイドに立つとき、『今年もここに来れたか…』と思う関係者は多数。特にローカルでありながら3年前からNHKのテレビで放映されて以来、参加する選手とその親とコーチのモチベーションは計り知れない。(我が少年団のコーチングスタッフの我が愛妻も心なしかいつもより気合いの入った化粧で臨戦態勢に臨む。)

 時計の針を戻そう…
 足寄選抜前夜、2/10。(全国大会終了当夜)
 エントリーしているスケーターの家庭では例外なくある儀式が行われる。
 “研ぎ”― 今シーズン最大最後のレースを前に子供達のスケートのブレードを砥石で“研ぐ”のである。子供の心を研ぐように、沢山の人に支えられこの大会にでられることの感謝とベストタイムがでるようにとただひたすら“研ぐ”のである。

 氷上に立ち、オフィシャルに促されブルーラインに並ぶ…スターターの発声。
『Go to tha Start…』
レッドラインのスタートにつく。この時、このラインに立つことの意味と決して一人ではないことを感じるため、感じてもらうために、ワンストロークに父の心と祈りを込めて“研ぐ”のである。ただひたすらに…

 決戦。小学生とは言え、トップスピードは時速40km。“魔法の靴”スラップスケートは小学生の記録も驚異的なものにぬりかえてきた。
 転ぶな、転んだらお終いだ…カメラのフェンダーから祈る。親のできることはこれくらいだ。0.01秒の差でファイナルに進めない選手が涙する世界だ。
 でも、ここまできたら結果はどうあれ、良くやったと誉めて抱きしめてやりたい。案外それが家族の絆を強くする。こんなことを冬中やっているのだ。

 放映日は2/20。4年女子の表彰台に次女が立つことになった。今季ベストレース。表彰式には、昨日のJA全国青年大会に駆けつけてくれた十勝の青年部の仲間もあちこちに…祝福を受けあらためてちっぽけな自身を自覚する。ここからが私のスタートラインだ。

『 Go to tha Start…  Ready…   Go!! 』

 もう新しい、シーズンが始まっている。嬉しいことに今シーズンはオリンピックイヤーである。楽しみでしようがありません。

【北農中山口副会長ご逝去】5月
 1月にお見舞にうかがったときは、誤診なのではと疑うほどお元気だった副会長がこんなにもあっけなく逝ってしまわれるとは…
 目標にしていた、大きな背中を失った。私達のことを逞しく育て信頼し、優しく見守ってくれた青年部出身の大先輩でした。

 葬儀に寄せた弔文が、静かに葬祭場に披露されます。

(弔文)
貴方のことは幾年を越えて、多くの人に語り継がれることでしょう。
多くの人にその意志は継承されることでしょう。
たとえその足跡が降る雨に消え、吹きすさぶ風の中に紛れ散らばり、見守られることがなくても、行き先を照らす見果てぬ夢を私達は求めて止まないからです。
土塊に生きた農人の魂の叫びを、称え英雄の詩を私達がうたい継ぐからです。
貴方はその夢を照らす永久の未来の旅に就かれました。
あまりに駆け足で…。今はどうぞゆっくりおやすみ下さい。
貴方を超えていく幾多の困難を、乗り越える力を与えて下さい。
そして私達をいつまでも見守り導いて下さい。
どうか安らかに…。

― 享年60歳。ご冥福をお祈りします。―

【全青協現地理事会】北海道開催6、7月
 初の現地視察を兼ねた全青協理事会は、北海道は札幌、帯広、オプションで旭川にて開催しました。現場主義を掲げる藤木会長の願いです。

 政策議論の多くをリードする北海道盟友の意識の高さと、その生産環境を十分にアピールできた貴重な機会であり、特に品目横断的政策の当該地区に当たる地元十勝の生産環境を多眼的な視点から、各県を代表する理事の皆さんに視察研修をしていただいたのは、全青協の政策議論の方向に一定の先導性を示すものになりました。
 府県や形態によって様々な感度がありますが、責任ある担い手の立場として何を成すべきかの核論を議論するための、重要な現場回帰であったと振り返ることができます。
 もちろんその議論と実践はまだ始まったばかりですが…

【ジュネーブWTO本部へ】フランス農場視察、ノルウェーマーチ:7月
 とにかく今年は、“歩き”や“自転車”が多かった!
 そもそも普段、トラクターや軽トラックでしか移動手段を考えつかないから、当時、このマーチを実行するに当たり、『救護班長で…』を、あっけなく却下されてしまいおもっきりモチベーションが下がったことを覚えています。

 しかしこれを機会に、よく歩くようになりました。
 例えば、東京都内の移動で、時間に余裕があれば1時間ぐらいなら、平気で歩くことが出来るまでになりました。以前なら考えも及ばない。慣れと自信というものは恐ろしいものです。
 お陰で、夏の革靴は2年ももたず、気に入ったアイテムだから修理か、新調か今、迷っているところです。

 それはさておき、この時のスイス、ノルウェーの農業者の皆さんとの出会いが、草の根運動となりG10の結束をより強固なものにしていくことを、この時点で知る者は誰としていませんでした。また、個人的には、オンシーズンのフランスの生産環境を視察研修できたことが、最も大きな収穫でした。
 見えない何かに背中を押されての、マーチの完走はその達成感を表現できない程の本年最大にして最高のハイライトシーンでした。

【青春チャリンコリレー】東北・北海道統一行動:8〜11月
 見切り発車の部分もありましたが、多くのメンバーや関係者、事務局に助けられて、北海道から出発したこの事業は、自身の走行距離100kmを越え、東京は大手町、代々木、霞ヶ関をゴールしました。

 北海道出発は前月、ジュネーブへのマーチに参加した直近だったこともあり、けっこう余裕でしたが、福島県白河から東京までの3日間は行き当たりばったりの部分があって、けっこう怖かった。(こんなに無計画で良かったのか?という恐ろしさ…)

 特筆すべきは、とにかく楽しかったということです。
 食料基地、東北・北海道ブロックから自国の食料主権を主張する統一行動の崇高な目的に対して“楽しかった”は、いささか不謹慎かもしれませんが、とにかく楽しかった…
 蛇足ですが、特に鍛えていたというわけではないですが、筋肉痛にならなかったのは今もって不思議です…

【お助け隊ドキュメント】東京農大援農隊奮闘記:8月
 道内某民放が『大学生の援農隊の奮闘顛末をドキュメントにしたい。』というリクエストにこたえて取材許可を出したが、自身は出過ぎず、出なさすぎずのカット割りで安心しました。
 昨年に続いての出演にマダムヒラリーのモチベーションは今夏の寒暖計とシンクロするようにあがり、ひまわりのような笑顔を直視できない程…

 これまた、どうでもいいことなのですが、上京の折には東京農大のキャンパスにでも案内してもらい、ついでに彼女たちとデートするという計画は未だに実現できていません。長女に近い歳の女子大生達に“兄さん”と呼ばせて、一人悦にはいっていますが、彼女たちの逞しい未来を羨ましいと想うおじさんチックは、その呼称とは明らかに大きく乖離することを自覚しなければならないでしょう…

【熱海会議】家の光理事会:9月
 9月、家の光協会の理事会は、協会が保有する熱海の温泉で行われましたが、これが、た・だ・た・だ・贅沢の一言につきるおもてなしで、こんなことをしていたのではいつかバチが当たるなぁ〜と、神妙になってしまい、汗を流して働く家族の笑顔に後ろめたさを引きずる帰道でした。

【意見表明】自民党農政小委員会:10月
 永田町の農政対策小委員会は朝7時まえには、会場に入っていないと“立ち”なってしまいます。おまけに狭いから暑い…!
 経営所得安定対策等大綱が決定する前週。
 団体の意見表明の一翼を担っての登板も、北農中の事前のレクチャーから
『北海道は黙っていてくれ!』
〜を配慮しての舞台は、いまだ経験したことのない辛いものでしたが、それでも脱線寸前の政策議論を元のレールに引き寄せてきました。(…と、言われました。)

 昨年4月の有識者ヒアリングを知るある企画官には、
『あんなの、“北海道の平”じゃねぇー!』
〜と酷評でしたがそれは極端な評価として、このままではいけないのだ、という代議士のハートを揺さぶるのに余りある手応えを感じてきしだい…
 河岸を変えた全国代表者集会に駆けつける代議士の、力のこもる握手と激励がそれを物語っていたりして〜
 同時に、“責任ある政策提言”を主張するべき私達にとって、永田町と正面を向いつき合おうと想ったら、多少の人身御供がいるのを悟ることに…
 なぜか、闘わなくていい相手と闘うような無情な世界です。永田町と霞ヶ関を通るたびに、
『俺は、何をしたかったんだろう?』
〜とつい、自問してしまう今日この頃です。東京の会議は文字通り“東京砂漠”です。

【30回記念大会】十勝地区農協青年部大会:11月
 WTO緊急代表者集会が急遽入ったものだから、十勝大会は大遅刻。
 今年は30回目の記念大会。歴代の会長経験者が顔をそろえて、先輩方も温かく迎え入れてくれました。待っていてくれる僚友、盟友がいてくれる…事務局が、出迎えの時、華奢な腕で力一杯抱きしめてくれる…
 『やっぱり、帯広、十勝はええなぁ〜!』
〜を実感する瞬間です。

【アームレスリングと愛する者の笑顔】JA青年部全道大会:12月
 2匹目のドジョウ…
 全道大会の大懇親会は、各地区から予選を勝ち進んできたアームレスラーの力と意地をかけた“男祭り”の様相を呈しての大バトルとなりました。とにかく怪我をしないで…を祈ります。主催者側は案外びくびくしていて特に、決勝戦なんかは正視出来ませんでした。

 スローガンの“笑顔”三題は、2日目の一分間スピーチによって劇的に開花しました。
『僕にも、守りたい大切な笑顔があります。一つは長男の笑顔、ふたつ目は次男の笑顔、そして三つ目はけして笑っていない“妻”の笑顔です…』
〜は、ツボに入いりました。
 あそこには、何匹のドジョウがいるのでしょうか?来年も楽しみです!

【香港代表団・団長】WTO閣僚会議香港渡航:12月
 団長の責務を十分に果たせずも、しかしアジアの中の日本を彼の地で体感できたのは、多くの盟友のサポートと関係者の温かい声援のおかげだと思っています。自分でも知らぬ間に、立たされているステージの高さを実感し、真のグローバルリズムとは何かを農業青年の目線で感じ貴重な経験を得ました。
 帰国後、応援をいただいた関係者に報告書とお土産を持参しご挨拶にうかがいましたが、例えば町長は
『新得の平さんではなく、全国の平さんなんですねー。』
〜と感嘆しきりで、共に地元新得町の農業の発展のため、汗を流すことをお誓いしました。
 伝える工夫は、まさに努力次第です。私達の伸びしろは私達自信が創っていくのです。

【紅白歌合戦】銀座の望年会:12月
 香港帰国から、寒波、大雪の日本は特に日本海側・西日本で大荒れで、やむを得ず後泊組が続出。

 私も、21日の東京入り(前日、一度帰宅しています。)がJRと飛行機の遅れで、予定より約1時間の遅刻。とある代議士のパーティーに間に合いませんでした。
 夕食をすませてと思っていたところに、矢木理事から召集のコールがかかり、銀座の某店に集合とのこと。
 ついた頃には、カラオケで大宴会状態になっていました。後半は全青協年忘れ紅白歌合戦になって、行く年をしのび、来る年に明るい希望を見いだすための熱唱が、夜の銀座に響いたのでした。
 実は銀座での楽しい夜はこれが最後か…と想うと泣けてきました。そんなときに藤木会長が『君を忘れない』なんか唄うものだから、ボロボロです。可愛いホステスに慰めてもらったことがせめてもの救いでしょうか…
 これからの、一日一日を大切に生きようと思いました。

【一般参賀】天皇誕生日:12月
 香港帰国後、東京で飛び石の会議が入り、おまけに連休前、クリスマス前だったこともあり、22日に帰る北海道の飛行機がとれませんでした。よって帰宅は23日夕刻の帯広便で、日中『東京で時間を持て余すことになるなぁー。』と、カロリー消費のため、虎ノ門から東京駅に歩いて移動中、皇居に並ぶ長蛇の列に吸い込まれてしまいました。
『そうか、今日は天皇誕生日。一般参賀か…』
 みれば、ツアーのおじいちゃん、おばあちゃんの群、群、群…でも、けっこう目に付いたのが、外国人。青い目の金髪。中国人。それから、見るからに右翼のお兄さん方。
 10時20分の最初の参賀に、神々しくお並びの皇室の皆様(雅子様の若草色のお召し物が印象的でした。)に、なにかいいようのないエネルギーをいただき、帰路につきます。桔梗門から出てくる皆さんの足取りも、心なしか軽やかな感じがしました。
 日本の平和を実感…

【クリスタルからサファイアへ】JALカード
 渡航回数が暦年で年間50回を越え、サファイアカードを取得することに…
 考えたら月、2回以上は東京を往復しています。ススキノより、銀座に繰り出すことが多くなりました。地方都市にもよく行きます。『疲れるでしょうー』と言われますが、慣れたせいか気にするほど堪えなくなりました。
 今まで、一度も墜ちたことがない強運?…の持ち主なのかもしれません。

『良いお年を…』

 もちろん漫然と生きているわけではないのですが、心根が悪いのか特に最近は、一年が経つのが早いです。
『やり残したことがあるんじゃないかなぁー。』
と、思ってみても、その事をちゃんと総括できないでいる自分がはがゆい…
 にしても、この一年は誰もが出来ないことを経験させてもらったことは、自身の大きな財産です。まだ、生々しいこともありますが、そんなこともいつの日か笑顔で皆さんに、話せる日が来ることと望年の想いを綴り、今年一年を振り返りました。

 愛する者の笑顔と共に、良いお年をお迎え下さい。

2005/12/29(Thu)

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