《続・新風青嵐の放談コラム》盛緑の7月号

土根にはえ、風と生きる

「戦慄の7.5」

【したに〜したに…】
 7月5日
 この日、十勝支庁からオファーがあって内閣府の法制局長官ご一行様がひら農園に現地視察することになっていました。
 前日の閣議終了後、帯広十勝に入ってJA帯広川西のナガイモ選果施設を視察した後、翌日旭川に向かう路順に、と言うことでした。
 上川支庁に入ったら、『北の国から』のロケ地と『富田ファーム』と『旭山動物園』を“視察”して、本題の上川農業の現地視察に赴くとのこと。
(別に、恣意的に揶揄する意図はありませんので…)
農水省の課長以上(2名)をお供にのいわゆる“大名行列”です。
(本当に、別に、恣意的に揶揄する意図はありません。)

 ところが、早朝の臨時ニュースに驚愕!
 アメリカ独立記念日に合わせてか?〜と言う真意はともかく、北朝鮮がミサイルを日本海に向けて発射したのです。
 当初の速報だと、稚内南西沖数百キロなんていう情報でしたから、これは一大事!とテレビに釘付けになりました。

 折りしも、当日、小6の次女は修学旅行。
 札幌ドームに42年ぶりの9連勝をかけての北海道ファイターズの観戦に、ワクワクしていた日の朝でした。もちろん、修学旅行は予定通り行われましたが、十勝支庁の担当者から
『ミサイルの件で緊急帰京することとなったので現地視察はキャンセルになりました。』
〜と連絡が入ったのは、朝仕事から帰ってきた8時少し前のことでした。

 結局この日は夕方までに、合計7発!
 人的被害は報告されていませんが、気合い十分の新得のタイラさんの空回りだけが、北海道農業にあって唯一の被害?(←大げさだよ!)だったようです。
 ちなみに、この週は藤木全青協参与夫妻が岩見沢―旭川―帯広ラインで来道され、7/7の全中理事会が帯広で開催(初の地方開催)され、同日夕方には道青協平成15年会が札幌で行われましたが、どれも支障なく事業遂行されたのです。
 やはり、でも、日本は平和なのです…

【心配されたお天気ですが…】
 立場上、と言うわけでもないですが札幌、東京に赴くことが多くなるのと比例して視察を受け入れる機会が増えました。

 特に、今いまの農業政策議論の中にあって、注目度の高い北海道畑作の当事者だったこともあり“帯広―旭川”ラインや、“札幌――十勝”ラインのコ−スに入っていたことが、その機会を得るチャンスになったことは、与えられてもの以上の“巡り合わせ”を感じています。
 さらに、『俺達は決してショボくない!』を合い言葉に、中央からの現地視察やヒアリングを自分も含めて農協青年部の盟友が受け入れることを担っていました。
“日本型直接支払制度”の制度設計において、その源流と強力な推進力になっていたと評価する声が大きいことは、私たち青年部にとっても大きな手応えとなって自身のステージを上げてきました。
 私たちの軌跡は、私たちが思う以上の力を得て未来を拓く原動力になっていくのだと思います。

 ただ、どういう訳か特に霞ヶ関方面から現地に来られるときは、天気がわるい…時が多い。
 雨、強風、大雪…。せっかくの現地視察は、やはりいい天気でありたい…だって、傘を差してや、足元が悪い中(しかも、革靴だからねぇー、って別に、恣意的に揶揄する意図はありませんけど…)では、“あ〜ずましくないっしょー!”

 この週も、週間予報はあまり良い方ではありませんでしたが、当日朝の天気予報だと視察時間はなんとか持ちそうでした。
 そこで、ミサイルの件もあり、早朝、仕込んだネタが以下です。

「本日は遠方からようこそ。どういう訳か霞ヶ関方面から視察を受け入れるときに限って悪天候の場合が多いのですが、今日は心配されていた天気もなんとか持ちそうで、雨も降らないようです。…そのかわり“ミサイル”が降ってきましたけどね。」
(←スカッド級オヤジギャグ?)

 どのルートで知ったのか、現地にご挨拶に伺うとのことだった町長にも、組合長にも( “したに〜したに…”って恣意的に揶揄する意図は本当にないけど…)ドッカーン!…を期待していたのだが、披露する機会を失ってしまいました。
 発射失敗…です。

【“品目横断”発祥の地】
 それ程までに、思い入れがあったのは平成15年のこの月(7月10日)。
 農水省大臣官房企画評価課の皆川課長が企画官を二人共だって、当農園を皮切りに十勝、北見の生産環境を視察していったのだが、業界ではこの時をもって“品目横断”のスタートとされていて、いわば、その“発祥の地”(←この表現、悪のりしすぎ…か?)を視察してもらうつもりでいたからです。

 この、皆川課長来道前夜、帯広でJA青年部役員の作戦会議が開かれました。

〜何を主張し、何を見てもらうか〜 

 ここで行政マンやJAグループ幹部なら“如何にこの生産環境を維持していくのが大変か”が従前の手法だったのでしょうが、少なくとも現場のプロ農家はそれを良しとしませんでした。

『俺達は決してショボくない。苦しいが決してショボくない。』
・EUの生産水準に負けていない。それは先人達からの努力の積み重ねだ。
『あるままを、見て感じてもらおう。プロ農家の自負と誇りを飾らず聞いてもらおう。』
・ASWに匹敵する実需者により愛される小麦を生産しているじゃないか。
『現場から自己発信しよう。その俺達のフィールドは日本の食料庫だ。』
・皆知らずにメイドin十勝を食べている。

 …例えば、翌年(H16)から始まる“新食料、農業、農村基本計画審議会企画部会”の中での、『品目横断』議論のコンテンツなどはこの視察や後段の十勝のJA青年部との意見交換で提起されたことが底流となっているのではないでしょうか?

 平成14年の米政策大綱が策定されたその年の政策議論とは、明らかに毛色が違うことを何よりも稲作農家(転作農家)自身が感じていたはずです。さらに“プロ農業経営”や“努力した者が…”はまさに、この時仕込んでおいたものです。(結果、北海道に風当たりが強くなるのですが…)
 ちなみに、視察前泊は自宅から4kmほどの3セク・屈足トムラ登山学校レイクインという温泉宿泊施設で、お土産(事前のレクチャー資料)持参で一緒に会食をした際、思いがけず野球少年団やスピードスケート少年団談議に花が咲き、これをもって“プロ野球議論”や農水省のHPにアップされている『…ちなみに、平さんの奥さんは元スピードスケートの選手であります。』を言わしめた元ネタとなっています。
(いわゆる、マダムヒラリーが“下半身美人”かどうかの評価は、ここではふれないでおきます…)

 また、特に印象深かったのは、お供の企画官の言葉。
『本当に何かを見なければならない時は、“大名行列”じゃダメなんです!』

 実はこの時、いわゆる“お忍び”だったので、道庁・十勝支庁や町長はこの来道を知らされていませんでした。(北農中マネジメントの場合だから?)
 本省の課長クラスが来られるときは“大名行列”になることも、政策は“課長室”できまることもこの時知りました。
 現地の“お出迎え対応”は、たとえ仕事とは言えヒラリーにして、「ナ〜ンセンス!」と嘆くのですが、でも、見てもらわないことにはわかってもらえないことも、今まで自己発信を怠ってきた現場の足らなさでもあります。

 だから、これ以降、大名行列がお越しになるときは、“会議室のテーブルの上ではジャガイモ一個たりとも穫れませんよ…それ作っているのは私たち『現場』の人間です!”(←躍る大捜査線・青島パクリ)なんかの小型爆弾を仕込んでおきます。ミサイルほど派手ではないし、時々取り扱いを間違って自爆しますが、無防備で予習不足の(実際はそんなことはあり得ないけど)大名行列には非常に効果的です。
 そういえば、昨年はよく東京に“爆弾”置いてきたっけなぁ…(←ここだけ読むと、公安に後つけられるよ!)

 余談ですが、皆川課長団レイクイン懇親のその日、プロ野球のナイトゲームで、阪神タイガースは18年ぶりのマジックを点灯させます。
 その18年前は私自身が大学2年生。北海道畑作の大きな転換期は、この年、政府掌干作物の生産者価格が制度設計以来初めて据え置かれ、以後右肩下がりであることを帯広市内の懇親会の挨拶で披露し、この視察が新時代農業の小さくとも強力に駆動するアイドルギアたらんことを期待していることを発言しました。
 おかげで、と言うことはないですがあの有名な“皆川直伝・大地の万歳”(←命名は適当なんですが…)を伝授していただいた(…と、少なくとも本人はそう思っているようで…)のはこの時です。

【現場の叫び】
 忘れ得ない“品目横断・発祥の地”のエピソードは時を超えて、誰が、どんな風に語り継いでいくのか、あるいは忘却の彼方に消えるのか…

 今は、ただじっと太陽のでない空を眺め、成長を止められた作物達の悲鳴を聞きながら耐えるしかない時を過ごしています。
 自分の中で、フツフツと湧いてくる抑えきれない感情は、きっと、この作物達の悲鳴と似ているのだ…と最近気付きました。
 プロフェッショナルを極める道は、やはり遠く険しい…

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