《続・新風青嵐の放談コラム》美秋の9月号

土根にはえ、風と生きる

「僕が彼女を好きになった三つの理由」

【見上げてごらん…】
 韓流ドラマにありそうなタイトル、何か意味深な名題…?

 9月に入って誕生を迎えた私は思いがけないところで、ケーキのプレゼントをいただいたり、おめでとうのメールを配信してもらったりと、収穫期の秋に気持ちが幾分高揚しています。
 これで豊作だったらなお良かったのですが、そちらは大苦戦。
 あわせて、厄払いを兼ねた神社の御神輿担ぎと、意に沿わずおじさん街道をばく進中です。
(ただ、担いだおかげで、痛い足が治ってしまいました…感謝!)

 そんな、メタボリッキーなおじさんの至福の時が、この時期、仕事を終えて車庫にトラクターを格納し自宅まで帰る道すがらの、仰ぐとそこに広がる満天の星空を眺める瞬間です。

 この季節、天頂には銀河を横たえて夏の大三角が目を引いて、日高山脈の微か上に蠍座の赤色巨星のアンタレスが、真夏ほど自己主張しない存在で輝いています。(そういえば、マダムヒラリーは蠍座でした…)
 さらにもう少し季節が進むと、秋の深さを実感するようなまだ夜明け前の凍てつく南天に冬の大三角がきらめき、そのまま東の空に目をやると乙女座の一等星“スピカ”が美曼台地の稜線にわずかに顔をのぞかせ遠慮深く瞬いています。
 本来は、春の星座の乙女座も、収穫時期の早朝作業も残すところ後わずかとなった頃、自分を駆り立てるきっかけになっていたりします。

 ギリシャ神話だと乙女座のモデルは全能神ゼウスの妻、デメテール。
 そのデメテールの持っている小麦の穂の部分が“スピカ”で、この女神は豊穣の収穫と農業を司る神とされていて、“スピカ”はその象徴的存在として古代から多くの農業者に崇められてきたといいます。
 収穫の季節の星空を眺めていると、幾多の想いや願いがあの星達に託されているのだと思うとき、ちっぽけな自分の存在は当然として、生かされている素晴らしさとこの生業の尊さをあらためて実感するのです。
 自身が、乙女座だからと言うこともないが、“スピカ”は好きな星のひとつです。

【エコロジー】
 『自然にも、女性にも優しいエコファーマー』が“売り”のひら農園は、教育ボランティアの受入農園に登録していて、小、中学校の総合学習や、高校の修学旅行生を受け入れて体験学習を実施しています。

 ちなみに、
『“女性にも優しい”は余計だし、そもそも平さんの場合“エコ”ではなく“エロファーマー”なのでは?』
と指摘を受け、思わず苦笑いをしてしまったり、
『だけど、私には全然優しくないのよね〜』
と、ヒラリーの嫌みが聞こえてきそうですが、対外的には“優しい”が売りとなっています。
(優しいから危害を及ぼすことがない…?)

 今年も、可愛いおチビちゃん達やちょっとおませな中学生達が、額に汗し農作業を体験していくのですが、やはり数は力。見る見るうちに作業がはかどり、たとえ小さくとも人間の“手”とはなんと偉大なものよ!…を実感します。
 しかも、
『おじさん、僕ジャガイモ大好きなんだよねー!』
なんて言ってくれると目尻は下がりっぱなしで、以前、報告書に変えてこんなお手紙集をもらったことがあります。
『ひら農園で掘ったジャガイモを、おみやげにもらったその日にお母さんがカレーにして、家族みんなで食べました。すごく美味しかったです。お店で売っているものより数倍美味しかったです。家族中大喜びでした。ありがとうございました。』

 後日、出張授業があり、このことに応えて、
『では、なぜそんなに美味しかったかわかりますか?土づくりを頑張ったり、農薬を減らして作ったおかげかもしれません。でも、一番の原因はみんなが汗をかいて自分の“手”で収穫したものだからです。そしてそれを大好きな両親や家族と分かちあったからです。苦労をして食物を手に入れることはとても貴重で尊いことです。これからは、食べるときはどんな人がどんな風に作って、どんな風に調理をしたかを想像して食べてみてください。同じものでも、美味しく感じられるはずですよ。』

 まだ、食育基本法なんかができる数年前の話です。

【質問に答えましょう!】
 体験学習は、だいたい1時間程度の作業と30分程度の“レクチャーの時間”でひとセット。レクチャーの時間は事前に子供達の質問の項目を配信してもらい、農業やひら農園の概要を説明した後、その質問に答える形を取っています。

 たとえば、小学校中学年ぐらいだと
『ジャガイモは一年に“何個”収穫できるのですか?』
とか、
『ハウスの中には小鳥とか入らないのですか?』
とか、
『農作業で怪我をしたとき、保険みたいなものはあるんですか?』
とか、思わず関西風に突っ込みを入れたくなるような可愛い質問が飛び出しますが、もちろん優しく丁寧にお答えするようにしています。(子供にも優しいエコファーマー!)
 最近はミセスヒラリーとの掛け合いが夫婦漫才みたいと、若い先生達からうけたりしていて、もちろん、子供達の真剣な眼差しに応えようとする気持ちが自身を動かしているエネルギーになっていたりするのも事実…

【その答は皆の胸の中にある】
 あるとき、中学生から、こんな質問を受けました。
『平さんが、農業を好きになった理由はなんですか?』

 考えてみたら、こんな歳になってしまうと『なぜ好きですか?』を考えて仕事をすることなど無くなってきていました。
 それに、その『好き』を持続させることはさらに難しい…
 人生の折り返しにいて、つい守りにはいってしまい出来るだけ魅力を失わないように、身軽でいたいと考えている一方で、古い荷物を捨てきれないでいる自分には、少しドキリとする質問です。
 後日、担任の先生を通して以下のように返答させてもらいました。

・・・・・・

 ひとつは、たいへんだけどやりがいを感じるからです。
 農業は天候に大きく左右される職業です。どんなに、努力してみても全てが報われるとは限りません。(農業だけではないのですが…)簡単には自分の思うようにはなりません。
 だからこそ、目標に達成したときは大きな充実感とやりがいを感じます。仕事とはただ単に好きなことをして対価を得る事のみを言うのではないと思います。簡単に実現できてしまったり、手にはいるのであれば、それに流す汗の価値をそれ程尊いものと思わないはずです。
 どこにそのやりがいを見いだし、挑戦し、自身を高めていくか…そこに向き合う姿勢に大きな意味があるのではないでしょうか…?

 ふたつ目は、自然と向き合うことで“生きる”ことを実感するからです。
 少し哲学的ですが、“生きる”ということはなんでしょうか?ただだまって、息をしてるだけでも生きていることになるでしょうが、それでは生きていることの証を見いだすことはできないと思います。
 “生きる”と言うことはまさに“生”を“活かす”ことです。
 農業は自然と向き合い時には対峙し、時には癒され、時にはその恩恵を継受することで成り立つ職業です。
 命あるものを育むなかで、同時に農業者は命あるものに育まれているのです。森羅の息づかいを大地に、森に、雨に、風に、そして太陽に感じ“活かされている”自分を感じることは他の職業では経験することは出来ないと思います。

 三つ目は、究極の答ですが、「好きになってしまうのに理由なんかない。」と言うことです。
 心が“ドキッ!”と動いてしまい、そこに魅力を感じて、また魅了されることが“好き”になることです。“ドキッ!”と動いてしまう理由はたくさんあるかもしれませんが、どこのなにに感じてしまうかは人それぞれの感性によって大きく違います。
 例えば、
「先生はどうしてこの職業を選んだのですか?」
という問いに
「子供達が好きだから…!」
と、答えるかもしれませんが“なぜ子供達が好きなのですか?”の答は、もっと深度の深い人間的根幹の部分に大切に保管されているのかもしれませんし、あるいは成るべくして成ってしまったようにプログラムされているのかもしれません。
 また、“好き”という感情は、
「見えないものの存在に突き動かされてしまうこと。」
だと表現する人もいます。
“見えない何か”ですから説明するのは難しいですね。わかるかなぁ〜?

・・・・・・・

 中学生相手に、ちょっと難しいでしょうか…、それとも格好つけすぎ?

“教えているようで、教えられている”…
 自分を振り返る機会をこんな出会いから求めることは、時に枯れかかる心の土塊に新鮮な水と栄養素を供給できるようで、収穫は思うような成果が望まれなくても、やはり楽しく楽しまなくては…を、実感する日々を送っています。

 修練が足りない私は、ワクワク・ドキドキするような“好き”と、成熟した大人の“好き”の狭間を行き来し、今日も“見えない何か”に支えられ、その存在に突き動かされています。

 そして明日はまた、来夏、“スピカ”のような穂に実る秋播小麦の幼芽が今まさに、息吹こうとしている北の大地に向き合うのです。

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