《続・新風青嵐の放談コラム》銀盤滑走の2月号

土根にはえ、風と生きる

「優しいということ」

 やはり、冬は冬らしく…
 今冬の折り返しを過ぎスケートシーズンのゴールをむかえて、大苦戦の今シーズンのリンクサイドに大きく心揺さぶられてしまいました。

【選抜の切符】
 H17年の12月号コラムに、
『2/10の夜に、十勝の少年少女スケーターを持つ親御さんが行う、“研ぎ”という儀式がある…』 〜を掲載したことがありました。
全青協副会長立候補表明した次日だったこともあって、しかもその年の青年部全国大会のメインテーマが“Go to the start”だったので今も強く印象に残っています。

 ある方に
「なぜ、そんなことに一生懸命になるの?」と聞かれて、
「岸和田の人達がダンジリ祭りに熱狂するように、京都人が祇園祭りに血が騒ぐように、ブラジル人がリオのカーニバルに情熱を注ぐように、十勝人がスケートを愛してそれにかける想いはそれと同じなんだよ。」
(もちろん、十勝の全ての人がそうではないですが…)と答えました。ローカルメジャーでマイナースポーツだからこそ、その個性は他にない輝きを持ち魅了してやまないのだと思います。

 2/11
 全十勝小学校選抜スピードスケート選手権大会は、各方面大会とミニスプリント大会の上位入賞者のみエントリー可能な管内ミニスケーターの多くが目指す、最大にして最高峰の大会。関係者の間では“足寄選抜”といわれ、足寄町営リンクにまさに将来のオリンピック選手が集結する“スケート王国・十勝”を象徴する大会です。

 今季、初冬は暖冬少雪で校庭リンク(十勝地方の小学校では、12月にはいると降雪した雪を圧雪し氷点下になる夜間、早朝に水を撒いてスピードスケート用の滑走リンクを造成します。)の完成が年を越えてしまい、子供達の氷上トレーニングは相対的に少ないものになってしまいました。
やはり、“滑れ滑れ”の練習が足りませんから仕上がりも遅れ気味…

 特に、小学5年生の末娘は身体も小柄で夏はそろばんに熱中して、これと言って運動らしいことをしていないせいもあり、以前ほど伸びシロが無くなってきた印象です。
それでも、汗して一生懸命練習する姿には心うつものがあるのですが、同時になにか悲壮感さえ漂ってしまいます。

 もちろん最終目標は“足寄選抜”のファイナルにのこってNHKのローカルTVにでることなのですが、その切符をかけたミニスプリント大会で思ったようなレースが出来ず落選してしまい、(我が家は兄姉達が皆スプリンターでしたから…)家族も、もちろん本人もその落胆の度合いは想像以上でした。

【アクセルとブレーキとクラッチとハンドルのあそび】
 マダム・ヒラリ−はスケート少年団のコーチをつとめていて、もちろん技術的には私のような素人には口を挟むことは何もできませんが、お互いスポ少の“認定指導員”だけにトレーニングの量やその効果について、意見をぶつけることがあります。

 スケート少年団に入団する前に一匹狼で長女と長男を、それこそキチガイの様にトレーニングさせていたあるシーズンに、長女がイケイケだったこともありオーバートレーニングから、完治できない膝の故障を抱えてしまいました。
小学校の後半を辛い思いをしながら、大好きなスケートに向き合うことを余儀なくさせてしまい(今では高校のスケート部のマネージャーで皆に可愛がられてやっていますが…)苦しい思いをしました…が、ヒラリーはアクセル、私はブレーキみたいな構図の“激論”がシーズン中、最低一度は繰り広げられます。

「少し、コントロールした方がいい…オーバートレーニングだ!」
「他の子はもっとハードにやっているよ!」
「他の子は他の子だよ…」
「どちらにしたって、そんなに時間がないの!」
「でも、身体が折れる前に心が折れてしまう…そうなったら、取り返しがつかないぞ!」
「それぐらいのことを乗り越えなければ、(足寄選抜の)切符は手に出来ないわ!」
「たかが、少年スポーツのことだよ、それでスケートが出来なくなったり他のスポーツが嫌いになってしまうのなら本末転倒だ!」
「でも、だからといって練習に手を抜くことは出来ない!何よりも、本人が納得しないわ!」
「そうかもしれないけど、それを上手くコントロールしてやるのがコーチの役目だよ…」
「(足寄選抜に)行けなくて泣くのは本人よ!たとえ行けなくても精一杯のことはやらしてやりたい…そのためのトレーニングなのは本人だって自覚しているはず…!」
「目標を持つことは大事だよ…でも、生涯スポーツの在りようを否定してしまうコーチングは納得できないな!」
「生涯スポーツなんてそんな実感のない先の話を、子供にしてみても駄目…だって、大切なのは“今”でしょう?」
「十勝が“スケート王国”と言われながら、それが生涯スポーツに昇華出来ないのはなぜだか分かる?競技性もあるけど、小学校の内に燃えつき症候群になっているからだよ。オランダがスケート王国と言われているのは冬期間凍る運河で町民、村民がスケートを滑って“生活”の一部にしているから。結果、魔法の靴と言われている“スラップスケート”は年輩のスケーターにもその足腰の負担を軽減させるために、開発されたものなんだ。もし、真に“スケート王国”を言うのであれば、生涯スポーツの定着が競技性の向上と両輪になっていないと意味がないよ!」
「だから、そんな話を子供にしてもそれこそ意味がないわ!必要なのは目の前にある“足寄選抜”の切符なんだから…!」
「意味は無くないよ!!だからこそ、それを誘導するのはコーチングスタッフ、僕ら大人の役割なんだよ!!」
「…」
「…」
「でも、今年は難しいかもしれないなぁ…」
「…そうね…」
「はぁ…」
「はぁ…」
(ためいき…)

【育てられる】
『こんなシーズンもあるよ…』
 と、気持ちを切り替えて臨む方面大会の日の朝。
前日夜に研いだスケートを、甲斐甲斐しくヒラリーが末娘と祈るように準備をしていると、末娘となにやら話しこんでいた家内が突然、
「えーっ!」
と声をあげました。

「どうした…?」

『末娘の同級生のヤヨイちゃんが、前日の体育の授業で方面大会の本番に使用するスケートは、“刃”を痛めたら困るからリザーブの靴を持ってきたけど、小さくてはけなかった。末娘は靴が少し大きいものだから自分の靴をライバルでお友達でもあるヤヨイちゃんに貸して、変わりにそのリザーブのノーマルスケートをはいて(つまりスケート靴を交換して)体育の授業にでた。』
…とのこと。

 靴もブレードもスケーターにとって身体の一部…他人のを貸したり借りたりは、少なくともこの競技ではあり得ないほど、神経質なものです。
ましてや、“研ぎ”はその時の選手の体調やスケーティング、リンクの状況、外気温氷温によって微妙に調整するものですから、まさにスケートは“刃が生命”!
 それを、事もなげに
「貸してあげたの…」
〜の、一種、脳天気を通り越したその軽やかさにヒラリーの呆れ顔と絶句…
「何を考えているんだか!」
と、憤慨する6年生の次女(我が家のトップスプリンター)を尻目に、思わず二人、顔を見合わせ吹き出してしまいました。

「そうだね…、おまえは優しい…、優しいね、それでいいよ…、それで十分だ…」

 言っているそばから、可笑しさと胸がいっぱいになって溢れる涙が止まりません。
…ヒラリーもしかり。
当の末娘だけが
「…???」
(そう…、充分にがんばった。だから、頑張ったなりのその結果を受け入れよう…“優しい”ということは何よりかけがえのないこと…強く生きるために大切なこと…)
 子供に、育てられていると思いました。

【ここにも神様がいる】
 結局、方面大会は上位者の転倒があり、予選10位で滑り込みセーフ…
 仲間や家族に祝福され、ご都合主義と言われようと『嗚呼、神様はいるんだ…』と、リンクサイドから手を合わせ、目標にしていた選抜の“切符”を手に入れたのでした。

 末娘の優しいのは父親譲り…(???)
不幸にも父親の遺伝子をより強力に受け継いだ末娘が、ヒラリー以外からもらうバレンタインのチョコレートを鼻の下を伸ばして頬張る私の表情を見て、嫌悪感いっぱいに
「それって、“浮気”じゃん!」
と、冷ややかな抗議を、これまた小さいシアワセの“切符”か?…と、思いめぐらしてみます。

 選抜大会が終了するのを頃合いに、日中の暖気もリンクを溶かしはじめてきました。

わずかずつ冬の終焉を迎えようとして、まだ遠い春の胎動を行事の節目に感じ、
「今年の春は何かと忙しくなるなぁ…」
と、つぶやいて白銀の大地に愛唱歌を口ずさんでみたりしています。

 それでも『Go to tha Start』のラインに起つ勇気を、神様はなかなか与えてくれないのは、自身がまだまだ足りないものだらけだからなのでしょう…

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