《続・新風青嵐の放談コラム》臨時:視察研修報告号

土根にはえ、風と生きる

「僕らはなんだったのか…?」

 もちろん、昨年ほどではないですが、2月は何となく忙しい…
 あらあらと思っている間に、もうすぐ3月。土の香りに背中をおされ焦躁の汗をかくこの頃…
 前号に掲載したスケート関連の行事やJA青年部全国大会、道青協のフィールドイベントは想定内として、更に今年は地元単組の創立50周年式典や全国菓子工業組合連合会青年部大会のお呼ばれ、管内剣道祭のホストオフィシャル。はたまたプライベートでは祖母の米寿、そして長男の高校受験…ついでにバレンタインディー…(それは関係ないか?)

 しかも、今年は統一地方選挙に地元JA理事改選、NOSAI役員、農連役員改選が重なり農事組合長の私はそのプロダクターでこれから目まぐるしい想いの早春を迎えることとなります。
しかもあらためて、農村の疲弊を身にしみて感じているところ、青年部全国大会の後段、横浜港湾に研修にうかがい、更に悩みの種を増やすことになるのです…

【もう、何も食べられない!】
 昨年、道青協の副会長達が、横浜港湾の輸入食材を視察してかなりの衝撃を受けたのか、それ以降、会議で出されるお弁当の“お残し”を複雑な想いでみる事に…
“どうしたらいいべか…?”
そんな想いが引き継がれ、本年も春の日差しの横浜港に、港湾労働組合、書記長の奥村氏に案内をしていただいて視察研修をしてきました。

 コラムファンの皆様に先に断っておきますが、恣意的に何かをおとしめるとか、困らせてやろうとかの意図がないことをご理解した上で、ここからは読んでいただきたいと思います。

 フキ、タラの芽、キノコ類、キュウリ、シソの実、なた豆、大根、干し椎茸、ワラビ、細竹、ナス、唐辛子、ショウガ…

 山菜、漬け物、日本・中華食材のありとあらゆるものが倉庫脇のポリ容器に“野積み”され、あるいは“テント倉庫”に『保管』されていました。
炎天下のなか“塩漬け”といいながら何年も腐らないその食材は確実にこの国に住む人達の胃袋に収まっています…
 けしてほんの一部ではない、普段見知っているもののほとんどが“メイドin日本以外”の、それも7〜9割を占めるもの…しかも、限りなく危険な状態で保管されています。
 奥村氏によれば食品がこのように港湾できわめてイージーに取り扱われている国は、世界では我が国だけ…諸外国ではあり得ないとのこと。

『ここは、ごみ捨て場ではありません。』

港湾敷地内の整理清掃を呼びかける看板が何か象徴的でした…

 目の前が真っ暗に…キーボードを叩く気力も失せてしまいそう…
 でも、気を取り直して…

 今更ながら、こんな大きくない島国の、しかし、そう小さくもないマーケットを狙ってあらゆるものが輸入されています。

・墓石…事前に申し込めば戒名さえ彫ってくれるそう…
・緑茶の茎…茶柱として。「茶柱が立った!」→ハッピーなのかどうなのか?
・カイコの糞、ミミズ…ガムの着色料、ハンバーグetc→生理的に受けつけない人いますね。
・人の毛髪…アミノ酸調剤。醤油の原料に添加している…?(byトラックのウンちゃん証言)

「俺達のやってきた事ってなんだったんだろう…」
 移動する車中のE副会長のつぶやきに、悔し涙が溢れてきました。

【土塊にもどる】
 研修のあと、横浜中華街で昼食を…

「嗚呼、さっき見たキノコちゃんだ…」

 そんなこと言っていたら、食べる物なくなっちゃうじゃない!
現実をシビアに見るアンチテーゼとして、しっかり美味しくいただいて、次代の子供達に負の財産を遺さないために、私たちは食をとおして生命産業を自己発信していく!!…の、想いを確認しようよ!

 S会長が
「去年はセキュリティー、もっと低かったですよ。観られる内に観ておきましょう。他の盟友や消費者の皆さんにも誘導しなきゃ…!」
消費者団体、PTA、更には他の友誼団体に、みて感じてもらうことが必要…に尽きるのですが…

E副会長「でも参与、なんか元気ないよ…北に帰りたくなった?奥さん恋しい?」
H参与「…そんなことはないけど…。」(心ここにあらず…)
N副会長「さては、バッくれたくなったでしょ…ユルユルですね?」
S会長「全中青年部の事務局女史に会いたいんですよねぇ〜」
H参与「…それはそれだけど…」(心ここにあらず…)

 実は、移動の車中でなきべそかいていたところに、追い打ちをかけるようにT副会長が
「あの重機群で、なんかひと儲けできそうですね…、何年かあとに参与ならやってそうですよね…」

…と、言われたことに、“へこみ”を更に助長してしまいました。

 『あの重機群』とは、国内の遊休重機(遊休とは限らない…倒産処分、盗難etc)をアジア諸国に輸出している中古のパワーショベル、フォークリフトのことです。
港湾のブースには展示会場よろしく雑然と並んでいるものを指しています。

 言われてみれば、考えそうなこと…、しかもT副会長は乙女座つながりで感性が似ているところも…だから、余計その揺れ戻しがあったのかも知れません。

「T副会長なら若いからなぁ…僕も10年若かったらそんなふうに思っていたかもしれない。でも、もう枯れかかってるよ。
 今年は統一地方選挙だろう?他にも色々ある…、そんなマネジメントしてるとさぁ…やれる人、できる人がいないんじゃなくてそもそも人がいないんだよ。人材云々の以前の話し…、若いヒトひとりふたりが頑張ったところでどうすることもできないよ…それぐらい農村は病んでいる。抹消の組織から壊死している…
 そしてそれを生み出した社会背景の一部にあの腐らない安価な輸入食材がある…この国は地方と食から腐ってきているよ…東京は住み良いところかも知れないけど、羨ましいとは想っても住もうとは想わない…どうせ、朽ち果て死んでいくものなら北の土に還りたいよ…」

 羽田で一人残された時間を持て余していても、
『何とかしなくては…!』『いや、もう無理だよぉ…』を繰り返すのみ…葛藤に結局、自身の心のケアアップが出来ないままの帰道となってしまいました。
大好きな人達がいる東京を羨ましいと思えば思うほど、北のシバレは弱い心に突き刺さり凍傷をおこしてしまいそう…
適切な処置をしないと凍傷部分から壊死していくのです…

【下を向くな、前に行け!】
 ではでは、なにが悪く、どうすればよくて、どう整理していかなければならないでしょう?

 責任ある政策提言を言う担い手のトップリーダーのひとりとして洗面器にお湯をはって凍傷の患部を温めながら考えてみます。(適切な処置なのだろうか…?)

 まず、ひとつが『危険なものを、食べたくない、食べさせたくない…』と言っている人が、何も知らされないで、好む、好まざるを関係なく…そんな食材が無秩序に氾濫しているのが問題。
表示義務、表示法規など、情報開示が成されることがまずベースで、それにかかる割り増しなコストを誰がどの時点で負担するのかという部分はネックになるでしょうが、消費者の判断で選べる権利が確立されていないのは、食料行政の大きな怠慢です。

 ふたつ目は、検査体制の不備。
事実上ザルになっている書類による輸入検査にしっかりメスを入れなければなりません。
国民の健康と安全を確保するという観点から、“危険な食べ物”データーリストみたいなものを、毅然とした姿勢で発刊公表するぐらいの気概が欲しいのですが…危険な食にさらされては“美しい日本”どころではないだろうに…ねぇ?

 みっつめが、やばそうなものは、『買わない、食べない、食べさせない。』の自己防衛手段を持つことです。
その判断基準はなにか…?
消費意識の向上を生活者視点で共有するという、アプローチが私たち生産者に求められているのではないでしょうか?

農家生活は基本的に家族労働・夫婦共稼ぎ、つまり女性の社会進出(農作業、労働環境的に…と言う意味)が最も進んでいる業態です。
農家である以上、食は豊に安全で…、は理想論ですが季節によって、たとえば農繁期にコンビニのお総菜を“チン”することを便利になった、楽になったと評価することはできても、安全な手作りのものであるべきだ!さらに、それは女性の仕事だ!と諫めることが、どうして出来るでしょうか? しかも、ジェンダーフリーのこの時代に…農業者こそ生活者視点が重要です。

 しかし、この国の食料自給率は40%(カロリーベース)。
もし、日本人全部が「国産のものでなければ“安心”して食べられない!」と言って、それを求めた場合、数字の上では7,200万人の食卓を飢餓に追いやり、口を、胃袋を満たすことが適いません…

【自己防衛】
 奥村氏は『恐るべき輸入食品』を執筆され、それを映像化した『それでもあなたは食べますか』は当時、大きな反響を呼びました。
私自身、それを見たのはちょうど“子づくり子育て”期間中でしたから、ヒラリーにも、もちろん家族にも『やれる自衛策をしっかりやろう!』と“食”については随分気をつけていました、自衛策も“農家・生産者”、あるいは“農村くらし”だからできることの範疇でした。
 食の安全についての“農家の自衛策”…、こういう表現だと、農家の生産物は自家消費するものからみて相対的に“危険”なものである…かのような意味に捉えられてしまうと困るし、誤解を与えてはいけないのであえて説明をしておきます。

 まずそういう食・農産物を“誰”が求めているのか?…ということ。
誰かが求めているからに他ならないわけで、そう言ったニーズに応えることも我々の産業使命のひとつ。(自虐的、受動的視点で言えばですが…)
 見てくれを気にしなければ大概どんなものでも、工夫次第で美味しくいただくことができます…だから、例えば自家野菜の農薬散布は“最低限”のもので良い訳で、つまりは我が家族と縁故関係、友人知人などごく限られた食卓と胃袋を満足させることのできる最低、最小限度のもので充分ということ。
 でも、これが商業ベースだとそういうわけにはいきません。
そもそも、農薬だって安くありません。かけないにこしたことはないし、なにより健康被害のことを考えれば一番リスクを負っているのが農家自身です。
そのことをテーブルにあげないで農薬は“必要悪”だ!…の議論は、アンフェアだと思います。

 限りなく素姓の知れているものでないかぎり、いかなるものも100%安全なものなどありません。いわゆるハンドメイド、手作りのものには当事者の想い入れが別な調味料として働くことを、能動的に感受していますが、それはそれで尊いことだし意味のないことではありません。市販のものでは得ることの出来ない満足感を恵受するというものです。

つまり、“安心”はお金では買えない…

 ただし、残念ながらこのことはだれでもできることではありません。
10回、口に入るとして内、2、3回は確実に安全なもの(高いかも知れないけど…)を食べる…その分だけ健康になれる、長生きする…今のところ受動的な方策でなければ私たち生産者だって、自分や家族の健康を守ることが出来ません。

 だからこそ、今までやり得なかった自己発信を強化していかなくては…!
不理解で無関心な消費者のせいで、危険で安価な輸入農産物におかされ続けなくてはならない…こんなことでいいはずはないのです!

【若芽を支える土塊】
 2/14
 地元出身単組の創立50周年記念式典を終わらせての上京。祝賀会のなかで歴代部長のコメントが印象的でした。
 初期の部長経験者は
「当時食べていくのがいかに大変であったか…秋の収穫が終わるやいなやみんな山稼ぎに行った。厳しい農業情勢だと言われていながら、我々青年の時分がもっともっと大変であった。が、明日を信じて生きてきた。だから、その思いを受け継ぎ新しい感覚で乗り越えて欲しい…」と、おっしゃいました。
 高度基盤整備事業が導入された前後の部長経験者は
「私たちの時も、農業は厳しかった。苦しかった。でも夢があった。残念ながらその夢を今、見いだすことが出来ない時代になった。つらく、たいへんなことだ。それでも、やらなければならないことがあるのが、若者だ!がんばれ、青年部!」と、激励をいただきました。

 何かを変えなきゃ…!
正面を向き闘えば闘うほど、土塊にもどる自身を想像してしまいますが、そこから萌芽する若芽をどう愛でればいいのか…

 長男はその日、自身の母校でもある農業科の受験で面接試験に挑戦していました。

 夢を枯らすわけにはいかない…

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