《続・新風青嵐の放談コラム》紡春の3月号

土根にはえ、風と生きる

「めぐりあう春」

 白い大地から土塊がのぞき、いよいよ、春の足音を感じる季節になりました。
 旅立ちの春…、わかれの季節を迎えようとしています。

【大恩人】
 今年度最後の役員会の後段、道青協、道女性協合同の広報事業を託す広告代理店のコンペを終えて、担当課長の送別会にお母さん達と共に参加しました。

 青年部にとって、ある意味恩人の伊藤久美子会長がこの春をもって…(あっ…フライングだったかしらねぇ)と言うことだったので、つい想い出話に花が咲き、盛り上がった勢いで2次会のデートをお誘いしました。
もちろん、道青協役員がエスコートして、参加者皆さんで2次会にいったのです。(二人きりではありませんよ…)なにか、大きな安堵感とやりきった達成感で溢れていて、昨年の今頃は自身もそうだったのだと、伊藤会長と心を同調してのススキノの夜を闊歩するのでした。

 当初、私が道青協の役員になった頃、女性協とはあまりしっくりいっていませんでした。
やんちゃで礼儀知らずなお兄ちゃんに、ずけずけと口うるさいおかあさん…そんなことをお互い思っていたのでしょうから、事業協力と言っても青年部が一方的に企画を立てて女性協がサポートする…
こと、広報事業に関してはそんな関係にあったので、お互い自身のフレームを開放することを拒んでいた感じがありました。

 H15年6月
 道政史上初めての女性の知事になって…ということで、道庁にご挨拶に伺うときも
「女性の知事だから挨拶に伺う…を、女性が言っていてはジェンダーフリーに適いませんよ…」の、自身の発言が随分反感を買い、
「平副会長は女性協のこと嫌いらしいわよ…」と、流布され中原会長(当時)になだめてもらったりしました。

 そんなやりとりが続いた頃に、家の光大会から帰宅した伊藤会長を病魔が襲ったのです。

肩こりなどの兆候があったとの体験談を後ほどうかがって、
「だから、平さんもちゃんとケアしなさい!家族のためにもまだ死ねないでしょ!」
…と、今も叱咤され続けているのですが…

 倒れた直後、(H16年2月)、五連役員との意見交換やラジオフォーラムはなんとか切り抜けたものの、普段からの連携協力が出来ていなかったので大変苦労しました。
しかも、私は中原会長を支える二年目の副会長…大番頭でしたから、苦情処理は私に集中して辟易としていたのです。
 年度を越えて女性協の総会には道青協会長の立場で出席し、役員定年制を導入する重要案件を来賓席から見守るのみでしたが、伊藤会長がおられない総会はアドリブがきかず、結局、上程案は否決されてしまい、伊藤会長は今でもお酒が入ると
「あれは、ルールー違反よ!私がいればそんなことにならなかったのに…、平さんには恥ずかしいところを見せてしまった…申し訳ないことをしました。」
…と、唇を噛んで視線を落とすのです。(ちょっと、いろっぽい…)

【その汗はあなたを裏切らない】
 そんな、女性部の印象を一変させたが、その年(H16)の道女性協の全道大会でした。
 実は、機会ある毎に青年部盟友にはお話をさせていただくのですが、女性部の大会に感激した私は、その年、青年部の全道大会を中島のパークホテルに会場を移し(より、ススキノに近くなった…)心機一転、あの女性部大会の公聴態度を見習えとばかり、各地区の配座表を設定し、しかも主催者挨拶で「出席」までとって“席に座っていて下さい”を、訴えたのでした。

 以下、原文のまま…(H16全道大会)
〜略
 あらためて、今日、明日とみなさんと共に汗をかくことになりますが、まさに今大会の隠れテーマは“汗”三題でございます。

 一つ目の汗は、先月女性部の全道大会にお招きをいただきまして、大変感動、感銘を受けました。
 一部では今年度の道青協会長は女性部と仲が悪いとかの不仲説が流れていたりして、困惑をしていたわけでございますが、私と伊藤会長とは大変仲がよろしいわけでございます。もちろん伊藤会長は人妻ですので節度あるお付き合いをさせていただいておりますが、女性部にできて青年部にできないと言うわけではけしてないのだと考えます。

 十勝のみなさん手を挙げて下さい。空知のみなさん手を挙げて下さい、上川、北見のみなさん、道南、日胆のみなさん、石狩、後志のみなさん、根室、釧路のみなさん、留萌、宗谷。みなさんの今、前と、後ろと横を良くご覧になっていただきたい。この姿が、現在の本道農業の趨勢を表している地図と思っていて下さい。

 4時間後、あるいは明日の朝、明日の終了時、みなさんの周りのイスの状況がどの様になっているか?

 これが5年後、10年後の本道農業をイメージする地図になってしまうことを私は憂慮します。どうかみなさん、少し汗を流し今の席に留まる努力をしましょう。その汗は必ずみなさんを鍛える汗になります。その小さな努力はみなさんの明日を裏切りません。そして、あらためてススキノのネオンの良さを実感しようじゃありませんか。

略〜

 あとにも先にも、こんな挨拶はきいたことがない…先輩達に笑われてしまいましたが、このことがあってから、(か、どうか分かりませんが…)全道大会の公聴態度が幾分良くなったように思えるのは、やはり手前味噌でしょうか…?
 ただ、このイントロダクションには後日談があって、よりによって大恩ある「石狩」「後志」地区の出席を取り忘れてしまったので、ことある毎にメイドin石狩、メイドin後志を罪滅ぼしのつもりでしばらく発信することとなり、後志出身のE副会長から「もう、いいから…」と失笑をかっていたりするのです。

【マダムキラー】
「女性部の全道大会を見なければ、たぶんあのままだらしないお兄ちゃん達の大会から脱皮できなかったし、全体懇親会だってあんなに盛り上がらなかったと思います!」

 伊藤会長は、酔ったせいもあったのでしょうが少し頬を染められ
「そんなふうに影響を受けたのだとしたら、それは平さんにそういう資質が兼ね備わっていたからよ…女性部だって足りないものだらけ、まだまだ青年部さんには助けてもらわなくてはいけないわ…」

 昨年度まで札幌での会議終了時に幾度となく会食をさせていただき(もちろん、二人きりではありませんよ…)子育てのことや、長女や長男の進路や健康のことで色々アドバイスをいただいたりと、公私ともにお世話になった優しくも偉大な尊敬すべき“おかあさん”の、節目の時をちょっと複雑な想いで感じるこの春…

「長い間ご苦労様でした。でも、少し肩の力が抜けて、なにかとても魅力的だと思いますよ…エスコートしますので二次会ご一緒にどうですか?」
「あら…、お上手ねー、よろこんでご一緒させていただくわ…」
(もちろん、二人きりではありませんよ…←あまりしつこいとかえって変だけど…)

 そういえば、伊藤会長は“サソリ座”…マダムヒラリーと同類項!(どうりで…←どういう意味かは読者の想像にお任せします。)
そのヒラリー、この春、地元女性部の理事に抜擢…
 私を支え後押しをしてくれたように、私も彼女を支え、いくところまでいかせてあげたいと思っています。

「そんな、ことになって若い男性事務局なんかといい仲になっちゃったりしたらどうするのよ…?」
 間髪入れず、
「もちろん、外泊禁止令を発動いたしますから…」
 銀座のホステスメール事件以来(H17コラム最終回おまけ号参照)、自虐ネタにことかきませんが、これを笑っていられる内は“ガンケ”に遺棄されることはないのでしょう…

 偉大な奥様達の笑顔を支え、それに応える青年の(メタボリ中年なのでは?)今年の春は悩み多き春なのです…

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