《新・新風青嵐の放談コラム‘07》豊秋穣悦の10月号

森羅の夢に果てるまで

「失われた10年」

 おかげさまで、なんとか健常者にもどりつつありますが、
「そんなに腫れるんじゃ、腱異常者でしょ〜」
と、つっこまれながらも、収穫の秋はいよいよ終盤戦に突入…
 そんなある時、ヒラリーが町内の会議に出てのあれやこれやで思うことが沸々と…

【あの年代は…】
 ここに来て、私よりヒラリーの方が対外的に会議や研修などがあって、しかも交友関係も広いので仕入れてくる情報が豊富…で、生産的。(桂浜をみてナキベソかいている誰かさんよりは生産的!by農園日記)
 ところがそういった会議で、ちょっとひっかかることがあるらしい〜
「なんなのかしらね…、上手くやれないし格好良くできないのよ…レッスンが足りないと言ってしまえば、もちろん私だってそうだけど、なぜかあの辺の“あの年代”の人達って…」
 時に、行政に対したり、あるいはJAに対したりのプロダクトする側にむけた感想なのですが、一番顕著なのが“先輩達”がいるJA女性部やそれらしい会議…
「なぜか格好悪くなっちゃうの…で、最後は部長さん、役員さんに“たのむわね〜”で丸投げ…田舎だからしようがないかしら…?」

←うんうん、わかるよ…そのステージのその壁にぶつかったのね…そうか…、男だけじゃないんだ…うんうん、わかるよ、よくわかる…

「特に、特定しているわけじゃないけど…なんとなく“あの年代”…わかる?」

 9月は某日に中川昭一代議士が来町し、町内は各産業の青年と意見交換を…というので、「ひら、ちょっと来てくれ〜」とオファーをいただいたその前後の顛末と…実は、“あの年代”に潜む功罪をJA青年部目線からヒラリーを前に解析してみるのです。

【制限時間】
 中川昭一代議士との意見交換会は、前日作戦会議をしてのぞむ持ち時間ひとり2分少々?のヒアリング〜早朝から練習してみるとやはり15分(あちゃ〜やはり、マイク持っちゃった者の勝ち?)
 ヒラリーにダメだしをされてしまいました。
「今回は農業関係以外の方もいるのでしょ?15分?それは反則…紙におとしてチャチャーっとやって『お車の移動中にお読みください』ってやった方が格好いいわよ〜」
←おー、その手があったか…作戦変更

 そこで、討議モードの勝負ネクタイをしていざ本番〜

「あらためまして、道青協参与をつとめております平でございます。H17、黒田家の結婚式翌日の農水省西口玄関での自転車モード以来ですが…」
(青春チャリンコリレーで4万人もの著名を手渡した日→放談コラムH17・11月号)
←あら、ここまでにすでに30秒…
でもこの導入部分で、肩の力がぬけ、ショーちゃんも「おーおー」と表情も幾分和らいだ感じ…作戦通り 。
「平成15年7月…農水省大臣官房企画評価の課長団が当地を皮切りに、十勝、北見の北海道畑作の生産環境を視察されております。プロダクトした中央会、ホクレン、そして農水省の関係するセクションの方達が当時を振り返り、『品目横断のスタートラインは、まさに新得は『ひら農園』から始まったのですよね…』を言われて評価されているように、品目横断の発祥の地の当事者として係る件につき“3点”にまとめて意見交換をさせていただきます。」
…って、ここまで1分30秒〜あらら…

【権利移動に伴う交付金のありかた】
「一つは、いわゆる過去実績のある農地の耕作権利が移動した場合、引き受け手が対象品目を耕作しないとモラルハザードが生じてしまう場合があります。
 また、その逆のパターン…過去実績がない農地を耕作し、作りたくても作れない…あるいは作っているのに公正に評価されず交付金が交付されない事案。
 輪作体系上増反したいが新規作物導入対策だけでは、能力のある担い手ほど割をくうことになります。この部分について新規耕作については各道県、市町村、生産者の生産水準が正当に反映されるべきだと考えます。
 また、自主ルールの中でフレームをかけていくには限界があります。モラルハザードが生じないためにも国は、一定のガイドラインを示すべきです。」
←よし、簡潔にまとめられたー!

【雑豆対策】
「ふたつ目は、H13、農業構造改革推進のための経営政策でまとめられているように、品目横断施策は「輪作体系を基とする大規模畑作経営」に向けられていたはず…「輪作体系〜」というからには、大豆以外の雑豆(小豆、菜豆類)が対象とならなければ品目横断は正しく完成しません。
 たしかに、雑豆は国内ではマイナークロップかも知れませんが、国際貿易上重要品目でその貿易規律が強化される中で国もその制度設計をくんでいくのに比較的重要度が高かったはずです。しかし、産地では今もって、雑豆対策の輪郭見えてきません。
 鹿児島、沖縄の甘藷澱粉、甘シャ糖のように、この際地域振興対策の仕掛けでも納得できるのですが…いかがでしょうか?
 さらに、種苗法違反による農の海賊版、輸入加糖餡など雑豆における政策上の周辺環境も、しっかりやっていただきたい。」
←十勝っぽく“豆”話題かましてみました…

【公的機関の対象品目作付にかかる配慮】
「三つ目は、少しパーソナルな話になりますが…
長男が本年より帯広農業高校に進学しました。昭一先生のお父様、一郎先生の母校でもあります。その長男、ある日
『あのね、今年から帯農、甜菜つくらないんだって〜。』
と言うのです。釈然としないので、後日地域懇談会の場で校長先生に聞いてみました。
『管内においては国産ビートシュガーの実に45%を生産しています。いわば基幹作物。農業を頂点とする産業城下町を形成する十勝の産業構造上、底辺にあるものです。また、農業者においても適正輪作を適う上で欠かすことの出来ない寒冷地作物です。
その甜菜を、食料基地北海道の中にあって、更に農業王国といわれる管内の後継者を育てる原初的な教育機関で実作付けされないと言うのであれば、馬産地の農業高校で馬を飼えない、米の主産地で田圃を作付けしないのと同じです。
どういうことなのでしょうか?』
 要約すると、公的機関により“担い手”ではないとの判断から…道教委の予算をもってしても作付を継続するのにコスト的に困難であるとのことで作付を休止したというのです。
“作らない”…ではなく、“作られない”と言うのでは問題ではないでしょうか?教育的配慮から公的支援が必要だと考えます。」
←何とかなるものならね…

【ホンネとタテマエ】
「農政課題もスピ−ド感のある改革の取り組みに、現場も汗をかくのは当然として所轄大臣の交代スピードもやたら早いようではよろしくありません…」
(会場:…………)
←あっら〜、スルー…でも、自民党は辞任党にあらためたほうが〜よりは、いいか…
「私からは以上です。ご意見をお聞かせ下さい。」
←8分ぐらい?(自分の前の“福祉関係”が一人で15分かけちゃったからね〜言っちゃた者の勝?でも、だいぶん巻き返したけど…)

 もちろん、農業政策には精通されておられるから、しっかりしたキャッチボールができました。
「最後の方から話をさせてもらおうか…
 ん〜、帯広農業高校で?ビート作れなくなったの?…っていわれてもなぁ〜なんで?もちろん道庁に聞いてみるけどさ…おっしゃるように基幹作物であるからそういうところでしっかり支えることは必要ではあるわな〜」
←さて、どんなところに落ち着くでしょうか…?
「雑豆対策はおっしゃるとおり…甘藷澱粉、甘シャ糖はシラス台地の代替がきかない作物だから、片栗粉、砂糖でも地域振興対策ではあるんですが…では、雑豆は?となれば、品目横断の対象品目で…の産地の意見は理解してます〜」
←事実上、雑豆対策は棚上げで、政策議論のプロセス知ってるから産地は評価していないんですよ…品目横断…ちゃんとやってね〜
「作らないのにもらえちゃう…は、どこかでもきいたなぁ…それは良くないね〜」
←やはり、ここはちゃんと言っておくべきか…
「ここで、言うべき事ではないかもしれませんが…この制度を産地から仕掛けていくとき、例えば品目横断的支援政策検討委員会(H16、道、JAグループ)では、『作っても作らなくても(穫れても穫れなくても)交付金がもらえるのであれば駄農を生み出してしまう…』の声は何より畑作本作農家自身から発した言葉で、それはいわゆる転作農家の“捨て作り”に対してのアンチテーゼでありました。その部分のフレームがユルユルではダメなのではないでしょうか…」
←あ…、頷いてくれるんだ〜
「そうだね…わかりました!」

 帰りぎわ、握手をする際に
「平くん…ホンネとタテマエがあって難しいこともあるんだよ〜まっ、ちゃんとやることはきちんとするからさ、よろしく頼むな!アキレス腱、大事にな〜」
「はい、お願い致します。ありがとうございました…」
←現場だって、ホンネとタテマエ…出したり引っ込めたりしながらやってるんだよね〜

【それでいいの?】
 私の後、司会が
「お時間がないようなので…」(はしょらなきゃ、次の会場が…)
 この時点で、酪農家のJA青年部のT部長と商工青年部部長と建設土木関係が出番を待っていましたが、福祉関係がおしたのがやはり堪えました〜すると、ショーちゃん
「いや、全部聞くよ…どうぞ」
と、T部長が意見表明しますが…
「飼料、燃料と高騰してコストがあがっています。乳価を上げて下さい!」
に、ショーちゃん小さく鼻で笑ってズッコケていたのを、私は見逃しませんでした。
←あ〜ぁ…どうせなら自分の言いたいこと言えばいいのに…

 前日、JA事務所の組合長室の作戦会議…
 では、何を言いましょうか…に、T部長はT部長なりに考えてきちんとした政策議論を仕掛けたかったのに、“その年代”の幹部さん達が、
「品目横断は畑屋さんのことだから、それは平くんが…ただし手短に。
(←マイク持っちゃったもの勝ちだし、フリーハンドでやっちゃうもんね〜)
T部長は…乳価、こんなんじゃやっていけないぞー、あげれー!ぐらいのこと言ってやったらわ〜」
←あちゃ〜、俺達しょぼいから何とかしてくれ…ってか〜?

 ヒラリーのいう“あの年代”とは、まさに“その年代”の奥様達のこと…旦那さんもそうなんだけど…なぜか「俺達しょぼいから何とかしてくれ!」に、あまり違和感がないみたい…

 以前、道青協E副会長に組織論についてこんな話をしたことがあります。

「JA青年部は特に政策議論については十勝地区は特徴的…
 最大盟友数を空知地区と双璧にしながらその分野は、はっきりいって苦手…というか、しっかりレッスンしていない。
 例えば道青協役員の創出〜平成11年、畑作担当の副会長を出すまでの実に10年以上監事以外の役員を輩出できなかった(してこなかった)。盟友の能力と組織の体裁からいって異常なこと…
 “その年代”の先輩に私は単組の部長になったときこんな風に言われたことがある…
『会議に行っても、余計なことを言うなよ〜役員にされちゃうゾ…』
…凄く違和感があった。甘えの百姓根性を象徴するエピソードでしょ?でも、“その年代”の人達やその時代はそれが当たり前だったと思う。
 そして今、“その年代”の人達が行政やJAの理事者、役員になったりしている。元気なのは元気だからね〜だって、“その年代”の人達が青年部でバリバリだった頃、支持価格は右肩上がりか、天井だったしとにかくイケイケドンドンだったから…
 なにか…内側のしかもそんなところに向けて、向かい合わなきゃならないところがあるのは正直きつい…地域性もあるけれど…」

 だからこそ、選ばれた人材は可能性のある出会いから自身を研磨して、それが地区、単組、あるいは地域、家庭に波及されなければダメなのでしょうが、地元十勝で言うところの空白の10年は大きいし、何とかしなくては…を、思うのです。

【組織討議】
 それを、プロダクターの立場で覚醒するきっかけになったのはH13、十勝地区農青協の会長をつとめたときに行った『農業構造改革推進のための経営政策』の組織討議です。この組織討議、その年の6月に配信されて8月末までが締切だったのですが、「事務局がなんとかしてくれるんでしょ…」と、ユルユルになっていたところ、8月の地区会長会議で空知、北見の意見集約を聞き愕然とするのでした。
〜これでは、いかん!〜
 思いっきり後発発進でしたが、地区役員に集合をかけ“せめてこの主張はぶれずに、これからも主張していこう!”と、まとめたのが今もって、経営政策議論の底流をくむものになっています。

『より営農努力、より経営努力した者こそ、より報われる経営施策でなければならない』

 ちなみに、この組織討議を「はい、それまでよ〜」と、しなかったことはJA青年部にとって有益でした。このことをベースに、道青協は翌年から、作目別政策課題検討委員会を立ち上げ、米政策、経営所得安定対策、そして基本政策議論の基礎を構築し、更に生産環境の充実に、各対策本部委員会で
「今ある能力、いっぱいいっぱいのものを作らせて欲しい…余れば生産責任の範疇で生産者がその責任を負うから…」を主張していくのでした。
 “生産調整”“産地廃棄”がいかに、生産意欲を減退させるか…、なにより消費者感情をどれだけ悪くするか…
 主産地の果たす使命や生産責任は、まさに生産者の流している血や涙の上に成り立っていることを確認しなくてはなりません。

 …で、“その年代”の方達は、しかもJAの幹部でも、そんな組織討議知らないし、見たことないし、覚えていない…なんてヒトが少なからずいるようですが、事務所の誰かの机の肥やしになっていたりすることを、容易に想像出来てしまうのは自分もそうだったからで、あの時、空知の会長や北見の会長の意見集約にかけた意欲と情熱に感化されなければ、ショーちゃんに正面から言えることはなかったのだ振り返ってみるのです。

【あと、10年経ったら…】
 そんなことをヒラリーに話しているうちに、気付くことが…
「そういえば、ここの農事組合(自身が組合長の〜)一番若いのがユウイチの二十歳、その次ぎに若いのがタカキか…20代の前半でしょ?次は…ジュン?30ちょっとか…約10年、いないんだ!…で次が、ムツミとか…あー俺か?…ここも10年間欠落しているのか…」
 こんなところにも引き継がれない10年が…(そういえば、バブル経済も失われた10年って言われていますね〜)

 ちなみに、“その年代”…
 近代農業を先駆し、活気に溢れた時代を背負ってきた年代でもあります。少なくとも、安定的成長を底辺から支え、辛くとも夢に邁進した世代…営農の強化を図り農業の基盤を確固たるものにしてきた生産的年代でもあるのです。
 例えばそれが“功”の部分。
 では、“罪”の部分は…?
 ショーちゃんに任せておけば何とかなる…そうして、現場の体温で現場の声を自己発信してこなかった…しかも内弁慶的モンローで強固な生産環境の上にあぐらをかいてきた…10年たって「俺達しょぼいからなんとかしてくれ…」に、違和感を覚えない世代…地域性に特化してしまうかも知れませんが、どうしても“田舎”ではそれを感じてしまいます。

 そして、後10年経ったら…私達は10年前の自分たちにどんな評価を受けるでしょう…?例えば、農業高校で甜菜を作ることが出来なかった就農したばかりの長男は、どんな舵を切ろうとするでしょうか?(継いでくれたらの話ですが…)

 失われた10年を嘆くは易いですが、その10年を埋めていくのも今の私達に課せられた役目なのではないかと…向き合うステージに立つことを自覚するのです。

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