《新・新風青嵐の放談コラム‘07》千鶴憂国の11月号

森羅の夢に果てるまで

「折り鶴の願い」

 人生の夏休みをしめくくる「四国・お遍路に癒されるアキレス腱リハビリ」の旅(‘07コラム特別号←ネームだんだん適当になってきた〜)と入れ違いに長女が修学旅行で広島に…

 そこで、リハビリの旅、東京後泊は『ひら農園』のホームページを作ってもらったワーキングステイの彼と、ギブスがはずれての“人生の夏休み”大反省会の中で〜

私「今時の親でも、『原爆ドームに行ったら被爆しちゃうでしょ!』って…ウソみたいな本当の話あるんだよ…情けないよ〜」
彼「実は司法の勉強をしていたことがあって、この国の“その時代”をちゃんと勉強していなかったことに愕然としました!」
私「うん…明治維新以降の近代日本史、歴史教育は特に中等、高等教育の現場で迷走したからね…日本人の根っこの部分がその教育を施されないことで、決定的に欠落している…社会科教育の重要性は特にその部分で、見直されるべきだよ…」
 教育が…、日の丸が…、戦争利用された愚かな時代があったことを次代に継なげる役割を私達、大人が担っているのだけれど…

 帰道しての翌週、町内の「教育を語りあう会」に参加して…中学校PTA会長の立場から、思うことをトツトツと…

【親を再教育…?!】
 昨年から始まった新得町の「教育を語りあう会」は、町内の小中高PTA役員、校長、教頭、保育所、幼稚園の園長を対象に、昨今の教育現場の様々な問題や出来事についてそれぞれの立場から、色々な想いを語り合い理解と認識を深めようとする会です。
 今回は、小学校の校長先生から「ネットいじめ」について話題提供していただき、ネット社会に巣くう色々な問題や課題を提起していただきました。
 その後、それぞれにグループディスカッションをしていくのですが、私のグループには教育長や教育委員長など本町の教育行政の中枢におられる方達や、“四国の旅”にお世話していただいた某児玉氏(‘07コラム特別号)が、地元高校のPTA会長の立場で参加されていたので、和やかにも意外と深い議論になりました。

 口火を切ったのは、その某児玉氏でした。
「ネットを利用する側の規範が子供の場合、確立されていない…だから、教育が必要だ…となるのでしょうが、そもそもそれに関わらず子供の教育の前に“親”の教育が必要ではないでしょうか?
 だって、携帯電話の料金は払っても、給食費は払わない…なんて親もいるのですから。」

 これをうけて、では親の教育はどうしたらいいか?…自身に発言を求められました。

「ちょっと裾野が広がってしまいますが、社会科教育の充実がキーワードになると思います。
 たとえば、歴史教育の中で近代日本史は少なくとも僕らも含めて、今の親御さんは初等、中等、高等教育で学ぶ機会を失ってきました。当時の文部省の学習要項がそうだったのでしょうから仕方ないかも知れませんが、維新以降から大戦までを正しく学んでいません。
 先だって、児玉さんと四国は高知にお邪魔しましたが、たとえば土佐郷士、維新回天の志士である、坂本龍馬を僕らが知るのは学校の歴史教科書ではなかったはずです。
 そんな日本人のアイデンティティにかかる重要な時代を歴史教育は欠落させて、学校教育はまさに“戦前・戦中・戦後”を総括しないで来てしまいました。

 これも児玉さんから聞いた話ですが、広島の原爆ドームに修学旅行に行く子どもに向かって『被爆しちゃうでしょ!行くの止めなさい!』は、無知を通り越してこの国の危ない土壌を象徴する話です。

 だから、日本人ってダメなんだよね〜を言えても、『この国はこうあるべき』を胸を張って言える大人はごく少数です。確かに“愛国心”にアレルギーをもつ人も少なからずいますが、それだって戦前の教育が戦争利用されたことを整理されていない負の部分を、私達は知らずにいますし、正しく次代に繋ぐことが家庭教育の中で出来ないでいます。

 結局、弱い者を押しのけて、より豊になることだけを、あるいはそうなることが人生の勝ち組になるんだと教育された私達から育った今の子供達が、国を愛し、町を、村を、育った故郷を愛し、そこに住む大切な家族…、仲間…、隣人と、いかに関わり、いかに暮らしていくか…を移植していくのは社会科教育の重要なテーマだと思います。

 ただ、子供から聞いたり授業参観して思いますが、そこに危機感を持ってしっかり取り組んでおられる先生方がけっこういるようです。郷土愛を育む、あるいはそれを誘導する授業やその工夫がされていて、むしろ今の子供達のほうがしっかりしたものを植え付けられているように感じます。
 そんなことを相互学習できる機会を、家庭でも、学校でも、PTAでも、社会教育や生涯学習の場でも、得ることができる環境が求められているのではないでしょうか…」

【生かされている】
 修学旅行から帰ってきた長女を、帯広空港に迎えに行き疲れもみせず帰宅する車中はお土産話で満開に…やはり広島での被爆した方の体験談やドームの資料などは印象が深かったようです。
「80歳をこえたそのお爺ちゃんは、被爆したとき学生さんで、当時、食事は食券が配給されてたんだって。その日、そのお爺ちゃんは食堂で食べた後、お店を出てすれ違う友達に食券を譲られそうになったんだけど、また食べに言ったら食堂の人に『また、食べに来たのか?』と思われるのが恥ずかしいから、食券断ったんだって…
 それからしばらくして、原爆が落とされて…その食堂は爆心地から1kmぐらいのところだったらしいけど、建物も、中にいたはずの友人も跡形もなくなくなっていたって…
 もし、友人に食券をもらって食べに行っていたら…生きていなかっただろう…って、生きていることはそれだけで不思議だって…生きていることは生かされていることだって、お爺ちゃんいってたよ…」

 原爆ドームでは世界平和を願って皆で千羽鶴を折ったそう…
 一学年200人だから一人5羽…
「でもね、鶴、折れない人もいて手伝ってあげたんだー!」

 折り鶴…

10年ほど前、NZ、豪州のJA青年部視察研修でファームステイさせていただいたときも、ホストファームのマダムは折り鶴を『ワンダフー!ビューティフー!』と、大変気に入ってくれました。
H17ジュネーブへ向かうマーチの伴走トレーラーの中でドミニカちゃんに折ってあげて、ひまわりのような笑顔でこちらが熔けてしまうほど喜んでもらった記憶…(H17/コラム8月号、ペーパーズマジシャン〜)スイスのファーマー達からも喝采でした。

その時、日本人なら、鶴くらい折ることが出来なくてはダメだと思いました。

その器用な指や手は、せめて愛する人の髪をめでたり…、頬をさすったり…、肩を抱きしめるためのものであってほしい…、この国の花鳥風月を慈しみ、育む指と手であるべきです。
けして、殺戮兵器を作る手や、核兵器の発射ボタンを押す指にしてはなりません。そんな、愚かなことが起きないよう愚かな政治家達に『No!』と、書ける指や手でなくてはなりません。

…そんな想いが、あの千羽鶴には込められているのだと思います。

「折り紙ね…日本の文化なんだよ。日本人はね手先が器用で、自然や動物や植物や季節の機微をそういうもので表現できる豊かな感性を持った民族なんだ…
 なのに、愚かな戦争を止めることができなかったね…」

 “郷土愛”
…北海道が、この生まれ育ったこの町が好き…。そういう者でなければこの国だって好きになれないはずです。
 そしてその郷土には、大切な家族がいて、大切な人達がそこに住んでいます。その故郷が育んだ文化が…、世界に誇れる文化がこの国にあるのです。その国を育むのは、折り鶴を折れる繊細な私たちの指であり、大地を耕すこの手でなければなりません。
 触れることをタブーにしてきた歴史教育のジレンマを、今、最も強く感じているのは、実はこの国の未来を憂う若者達なのかも知れません。

 その、千羽鶴に込められる想いから、学び取らなければならないものがたくさんあるはずです。
 若者達も…、そして私達も…命あるものに支えられて、生かされているのですから…

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