《新・新風青嵐の放談コラム‘07》春薫待妙の3月号

森羅の夢に果てるまで

「あなたがいたから」

 例年にない晩冬の暖かさに、北に向かう白鳥たちの群も農園の上空を行き交うようになりました。
 もう、彼等に残されている時間も限られているのでしょう…、編隊を組んで「カウ!カウ!カウ!」と鳴く声が春を告げる合図であると同時に、それでも過ぎる季節を惜しむような物悲しいトーンに聞こえてしまうのは、なぜなのでしょう…
 たくさんの者達に出逢い、そして支えられて思い巡らす薫る春をつれづれに…

【北国の宿命】
 札幌からJRで帰宅予定の2/24、前日からの猛吹雪で交通網、鉄路は大混乱。
 さて、どうしたものかと待合いのロビーのイスに腰掛けると、となりに座っていたおばあちゃまが「どちらまで?」と、声をかけてきました。


 前日、2/23はヨーカドー・アリオ店で『With you まるごと体験 北の農業スペシャル2008』と題して、道女性協と道青協のコラボレートするフィールドイベントを敢行!
 降りしきる雪の中、たくさんの札幌市民、道民の皆様にお越しいただいて農業の大切さ、素晴らしさ、厳しさ、尊さ、楽しさを発信していくのです。

…が、おりしの大雪。
 飛行機が飛ばず、延泊を強いられた僚友達との大反省会は、
『手作りバターコーナーのMC』がツボにはいって、某根室地区のS会長とエロファーマーズコミュニケーションで盛り上がったりとか…
 道青協総会の来賓対応に『スジが通らなきゃ絶交だから!』宣言が飛び出したりとか…
 何フェチ?カミングアウト大会に『だったら、“凛ちゃん”を前にして、何フェチか言ってみーっ!』とS会長相手にプチいじめっ子になったり〜
…とかで、多いに盛り上がっての夜半過ぎ、
「あぁ…雪止んだね〜よかったね〜」
と、脳天気にホテルに帰りるのでしたが…

【天網恢々疎にして漏らさず】
 神様はよく見ているもので、心がけの悪い者には必ずやその報いがあるのか、モゾモゾとプチ二日酔い状態で起き出してみる朝のTVは、鉄路、空路がズタズタになっているローカルニュースを流しているのでした。
「ありゃりゃ…たいへん!」
急いで、駅に向かい運休になった便を“スーパーおおぞら3号”に振り替えて、待つは冒頭の出逢いへと繋がるのでした。


 大雪と言えば…
 平成16年1月14日の北見豪雪。
 山形は天童市で開催されるJA青年部・東北北海道ブロック幹部研修大会の前日にその天災にみまわれ、前泊予定で午後一番の千歳発JALで飛ぶ予定が欠航になり、石狩圏も重たい雪に鉄路のダイヤは大きく乱れて、結局新千歳−札幌を3.5時間かけてたどり着いた北農中ビルの地下1階“とれたて北海道”は関係者でごったがいしていました。
 お客さん状況の、表彰者の谷村氏(25代道青協会長)や米班副会長の佐々木氏や私(畑班副会長の二年目)は、
「無理せず、ススキノ前泊して明日朝一で行こうよ〜」のユルユル状態で、その辺からして心がけが悪いのですが、事務局団はJR寝台北斗星のキャンセル待ちの切符を手に入れるために、中原会長(26代道青協会長)と駅窓口に詰めているのでした。

 そもそも、中原会長…自宅を出てからが災難続き。
 旭川の駅には車の中に航空券や財布が入っているセカンドバックを忘れるは、14日朝一の山形行きの便だけが正午をすぎても“欠航”の表示が出ず空港で生産的じゃない待ち時間を過ごすことになったりと、動けば動くほど、もがけばもがくほど抜け出せないアリ地獄スパイラルに、その時既に北のスタッフ達は巻き込まれていたのでしょう…

 結局、中原氏、谷村氏の“先発隊”にプラスしての最終切符は私にあてがわれ、札幌駅東改札口までの猛ダッシュの甲斐もあり、実に何時間遅れかわからない仙台までの寝台特急に飛び乗るのでした。
 ちなみに、中原会長の切符は上川地区を代表して参加する中田会長(後にH16米班副会長)が、元々JR移動だったので、それを譲り受けたもの…
 中原家に車の鍵を取りに行き、駅の駐車場に泊まってる車からセカンドバックをたがえて札幌に着けば、“ごくろー!…で、切符くれや”の話し…中田氏にしてみたら“オニ!!”だったでしょう…察するに余りあります。
(しかも、飛行機代くらい出して上げればいいのに…と、散々貧乏上川をバカにしていた後だったので、やはりそこは何となくばつが悪い…)

 でも、寝台の青函トンネルは初めてで、しかもそれとは知らずに函館で道南会長の平野氏と合流しての楽しい旅行は、これもそれが醍醐味を十分に満喫。
 そんなこんなで仙台駅を前に、さて、後発隊は如何に?と連絡をとってみたら、八戸で新幹線に乗り換えて間もなく仙台駅…乗り継ぎも予定通りで在来線で山形に向かう〜とのこと!
「い、い、いつの間にぬかしやがった?」
 どうも、盛岡当たりで抜かしていったみたい〜
 私達の北斗星が仙台のプラットホームに滑り込む…3両編成の在来線が入れ違いに…ガッタン…ゴットン…
「あっ…あれだ…(泣)!」
ギリアウト…

【BSE…ブス・すごく・えばってる?…美人・ステキに・エロ?】
 おかげで、仙台駅の待ち時間一時間少々…名物牛タン定食をしっかりいただきました
。  ところがその日以降、前年(H15)12月、アメリカでBSE(牛海綿状脳症)が発見され、USビーフが輸入停止でBSEショックのあおりをうけて牛タンが手に入らなくなり、名物定食はしばらく食べられなくなったのです。
(う〜む…、私達はラッキーだったのか?アンラッキーだったのか?)

 しかも『国産じゃないから、安全で〜す!』を言っていた業界は、その事を科学的に証明していないことを証明して、帯広名物豚丼フリークを怒らせてしまうような牛丼代替の豚丼を消費者に提供し続け、おまけに道産米を使っているものだから早期輸入再開を求める署名集めを道内各地で展開していき、心ある産地の生産者の感情を逆撫でしていきました。

「安くて、美味しくて、安全で、安心して食べられる物が、安定的に確保できるのなら国産のものにはこだわらない。」
 その年のその月…
 H16年1月から始まる『新食料・農業・農村基本計画審議会企画部会』の中で、外食団体を代表する部会委員がその事を主張されておられました。
 …とは言っても、牛タンよろしく“上手い舌”の、おそらくそういう方達なので、安全・安心なんて二の次ぎ、三の次ぎなのでしょう…
 あれから4年…
 いまだにイージーに、“安心でない”“安全を証明できない”食べ物がこの国には…、外食、中食には…、そして家庭食には氾濫し続けています。
 私には…だからではないですが、あの業界の牛丼を食べる気になれません。

【山形鬼門】
 結局、会場の山形天童市に着くのは開会式に、ここでもギリ間に合いませんでしたが、私は自宅を出てから26時間、中原氏は実に35時間かけてたどり着くのでした。
(ブラジルまで行けちゃうじゃん〜)
 しかも、
「これで、全国をとれなかったら後はない!」
くらい完成度が高かった活動実績発表の北を代表する、空知はJA岩見沢青年部を刺客に送り出し、まずまずの手応えを得て審査結果を聞くも、撃沈…結局、山形は離島のジャガイモネタにやられてしまい、
「アウェーだからな…(悔)」
を渦巻かせ(決して公正な審査じゃない〜を、言っているのではありませんが…)、
「勝てば、ススキノ延泊で祝賀会だー!」
「おおー!」
みたいな雰囲気で盛り上がっていましたから、当事者には悪いことをしてしまいました。

 …の、それもこれも北見豪雪のアリ地獄スパイラルのせい…(と、割り切らないとやりきれませんの…)

 ただ、この悔しさがこれ以降
「だったら、北が完全制覇でいつか第7ブロック独立宣言を!」
が、合い言葉になり、北のレベルを上げてきたことは確かなこと…底流に流れているものは『北らしく!より良いもの、より素晴らしいものを創っていく!』を、ぶれずにしっかりやってきたことが、脈々と受け継がれていると思うのです。

〜H19度JA青年部全国大会〜
 …にしても、東京大手町は日比谷審査の“いけてなさ”には看板にしろ、唄にしろ、某ヒカリ協会が依頼する大学の偉い先生達のような年寄り臭さと、さび付いたものを感じるのですが…(負け犬のナントカ?もちろん、公正な審査じゃない〜を、言っているのではありませんけど…)
 あの、心ふるわせる会場の空気と体温を感じることができなかったのでしょうか?“青年”であれば、“青年”を言わしめる『不枠』(枠にとらわれない)な粋と感性が備わっているべきです。(無理なのかな…)

 憤慨する杉山会長(28代道青協会長)を横に、オホーツクブルース達に
「失敗してのこの結果じゃないから、それは受けとめよう!北らしくしっかりやったじゃないか!会場の空気がそれを証明しているさ!胸を張って北に帰ろう…君たちは僕らの誇りだよ!悔しいのなら、またそれを乗り超えるものをまた創っていこうや!次ぎに継なげていくべや!」
 はい…、はい…と感極まる後輩達。
「ダメなとき…いけてない時って、こんなものだべさ…あがいても、もがいても、ならない時には、なるようにしかならないんだわ…」
 杉山会長、渋々納得…

 『山形鬼門』を経験している者だからこそ、達観するものがあるのです。

【自称マダムキラー】
 そんな“大雪エピソード”のお話を、札幌駅で待つこと7時間…おばあちゃま相手に酒ヤケの声でさせてもらうのでした。

 もうすぐ八十才になる札幌在住のそのおばあちゃまは若い頃、学校の先生をしていらして、教え子達の同窓会に案内をいただいての十勝川温泉までの小旅行…とのこと。
「それは、楽しみですね〜でも、大変な日にぶつかってしまいましたね。」
…と、駅で待つ間すっかりうち解けて、家族のこと、教育行政のこと、福祉や老々介護のこと…を話し込むのでした。

「こんなこともないでしょうから、コーヒーご馳走させて下さいな。」
 恐縮…女性に、それも年上のマダムにお茶を誘われるなんて…誰の、いつ以来でしょう?(そもそもそんなふうに思える回路がエロファーマー…)
「もし、迷惑でなければ名刺、受け取っていただけるでしょうか?」
と、差し出すと
「あらま〜、顔写真付き!農協青年部の方?私、やっぱりどこかで見てますわ…」
「フィールドイベントは昨年はファクトリーで、H17まではSTVホールでやっていました。」
「あ〜、私そちらにうかがったことあるわ!いつも、今頃なの?その時、見ていたのかしら…でも、本当は京都で弁護士をしている私の叔父にどことなく雰囲気が似ていて、ちょっと親しみがあったものだから…ごめんなさいね〜」

 もし、一人で待ったいたら『あがいてもしようがない…』と、別なスケジュールを選択していたかも知れませんが、おかげで私達のまわりだけ、そのシチュエーションに合わない嬉々とした雰囲気が醸し出されていたことでしょう〜


 そうなのです…
 お祖母ちゃんっ子オーラがでているのか、JRや飛行機で、見知らぬおばあちゃまやエルダーなマダムによく声をかけられます。しかも、何故だかうちとけっちゃう〜(若い女性からは…フライトアテンダントさん以外一度もないけれど…)

 飛行機では、お荷物が大変そうでしたから収納のお手伝いをしてあげると、
「お仕事ですか?私、こらからフラダンスの全国大会に向かうところなの〜」
…で、マダムと羽田に着くまで盛り上がったり…

 JRの中では
「お食べになる?」
と、ミカンをいただいた隣席のお母様は、全国を行脚するスーパーや量販店の催事場を担当する業者さんの先発店員のチーフさんで、業界の大変なお話を色々聞かせていただいたり…

「どのお菓子が美味しいかしら?」
と、隣席のマダムに車内販売のセレクトを相談されて、
「貴方もいかが?」
と、恐縮しながら柳月のお菓子をいただいて
「ご旅行ですか?」
と、うかがうと
「帯広で、お仕事なんですよ…日本舞踊の発表会にスタッフでまいりますの。」
 聞けば、道内に一人しかいない『顔師』というお化粧を担当するお師匠様のお付きで、札幌から帯広へ向かうところのそんな出逢いや…

 何故だか、声をかけて来るのは、ミセス…マダム…ばかり…
 現役の女子大生いわく
「親しみやすさや優しさがにじみ出ているから…」
らしいのですが、もちろんそんな自覚は全然なく、またチョイワルな女友達は
「お年寄りの大変そうなの…見てられないでしょ?お祖父ちゃんっ子、お祖母ちゃんっ子で優しく育ったから…」
(これでも、けっこう悪党なんだけど…)

 そんな出逢いを帰宅してからヒラリーに報告すると、
「もし、私が初めて会う80才のおじいちゃんに、『一緒に、コーヒー飲みませんか?』って、誘われたら貴方どう思う…?」
(…ん?そっちか?そっちの方向が気になるのか?)
 あるマーケティングの本にありました。
『オンナを知らないで商売はできない』
 確かに…女性はわからない…今もって、わからないことだらけです。

【…の声】
 この立場になってから、消費者や関係者を前に、パネルディスカッションなどで生産者を代表してお話をさせてもらったり、消費者大会などでグループディスカッションをさせてもっらったり、実需者を前に講演をさせてもらったりすることがありますが、そういう方達との意見交換で思うことが、
『今日、会場に来られた方はまだそんな食に対する危機感があり、認識が高いので現場への理解度もあると思うのですが、問題なのは、この会場に来られなかった方達…もっと言うと、別に関係ないわと想っておられる無関心な方達に、どう、アプローチをして理解していただくか?』
と、言うことでした。
 おそらくそれは、会場に来られている消費者、生活者そして納税者自身も感じている事なのだと思います。
 さらに言えば、無関心は無知を逆生産してしまいます。情報は賢い生活を送る上での武器ですし、無知はいたずらな損出をそれこそ、知らずのうちに蓄積してしまいます。
 …であるならば、なおさら生産者の生活者たらん目線で正しい情報、真に賢い生活技術を誘導することと、共に考え共に実践していくことは、大切なことだと思います。

 今にして少しの距離をおいてそんな機会を振り返ると、消費者委員とのディスカッションの数と同じくらい、飛行機で、JRでそんなマダムとの出逢いがあって、色々なお話を聞かせていただいてあらためて気付くことがたくさんありますし、いわゆる消費者の“生の声”を基に次の出逢いの予習になっていたり、演出をしていたことに、偶然とはいえ出逢いの妙を強く想うのでした。
 もちろん、私自身の体温で農業の大切さ、厳しさや苦悩、楽しさや喜びを自己発信し、食卓の笑顔を想像し、なにより夢と希望と自信と誇りを持って大地に向かい合っていることを、そんな一期一会に投射してきたのです。

【同じ窓から】
 2/24、午後4時過ぎ…
 結局、列車は臨時特急になり、大混雑の中、おばあちゃまの手続きをお手伝いして、座る席もお隣同士になっての道中も、楽しい会話が弾むのでした。

 トマムをすぎて、十勝に入り…
 先に下車する私がおばあちゃまのお荷物の整理をお手伝いしていたところの、別れ際…
「本当に何から何まで良くしていただいて…それに、年寄りの余計な話まで聞いてくれてなんだか恥ずかしいわ…このご恩は一生忘れませんよ。貴方がいなければ、諦めていわ…」

…こちらこそ、コーヒーとかご馳走になったり…

「私こそ、楽しい出逢いでしたよ…でも、こんな大変な雪でしたけど、だからきっと想い出にのこる同窓会になりますね…たくさん楽しまれて下さい。お気を付けて…」
 大混雑の車輌の中…癒される出逢いに下車した新得駅のプラットホームから笑顔でお見送りをするのでした。

あなたがいたから、がんばれた…
あなたがいたから、楽しかった…
あなたがいたから、優しくなれた…
あなたがいたから、あきらめなかった…

 大切なヒト達にこそ、そんなふうに言ってみたい…そして、言われてみたい新しい春です。

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