《新・新風青嵐の放談コラム‘07》春陽青新の最終回号(その3)

森羅の夢に果てるまで

「眉間のしわ」

 最終回号その3…
 私にも、そして北にも足りないものをその年、暦年で羽田−新千歳を26往復してみて、考えることを大胆に〜

【新たなステージに…】


−平成17年2月10日 日比谷公会堂 第51回 全国JA青年大会−

 みなさん、こんにちは
 北海道農協青年部協議会会長をつとめております平 和男です。
 …全青協役員規程には、体重制限がございませんから私のようなヒグマのような体躯でも、このステージに起たせてもらうことができるわけです。
 平成17年度、全青協副会長の立候補表明にあたり私の決意の丈を述べたいと思います。

 …とは言え、昨年まで道青協畑作青果担当の副会長の立場で、皆さんと同じそちら側の座席でこのステージを見ていたものですから、よもや今…こちら側のこのステージに立つとは想いもしませんでしたので、“私にできるか?”と、いう不安や、あるいはあふれ出しそうな“意気込み”というよりは『人生のサイコロの目なんてどんな風にふられるのか分からないものだな…』という、なにか他人事のような気持ちが正直なところです。

 しかし、それは現実を直視していないと言うことではありません。
 農業情勢が厳しいと言われて久しく、それは私供十勝の畑作農家であっても例外ではありません。この立場にありながら『今年は失敗できない、今年こそは…、今年は勝負の年!』と自身に言い聞かせ、いつしか北海道JA“青年部”協議会の会長を務めるまでになりました。
 しかし、私は本年、誕生が来て不惑…心にも体にも贅肉がついてしまい青年の煌めきはすっかり枯れていますが、それでも可愛い子ども達のために、めんこい嫁さんのために、尊敬する父母のためにと踏ん張る背中を地元単組の新得、十勝はもとより多くの北海道の盟友に支えられてきました。さらには、かけがえのない愛する郷土のために…と、課せられている重責をあらためて実感するものであります。

 特に本年はブロック理事の立場から多くの出会いがあり、私自身を鍛える貴重な機会と場所をとなり、同時に大きな手応えややりごたえを感じた一年でした。
 おそらくは、日本の食糧基地北海道の更に農業王国といわれている十勝のあの大きな井戸の底にいて、単なる“百姓”の兄ちゃんで終生していれば、こんな大きな海を知ることがなかったのか…と思うと、やはり『出会うもの全てが我が師』の銘は私の中にも大きな意味の持つものであります。

 こんな私に“次はおまえの出番だ”と言う声にどう向き合えばよいか、正直難しい判断に迫られたことは同時に、私に課せられている新たな責任の重さを自覚するものであります。

『大地に足踏み、太陽に感謝し、雨風に笑う農の防人』として空の高さを感じ大地の温もりを忘れない、皆さんと供にある代表者として、皆さんから少しずつの元気をいただいて全青協副会長として新年度、新たなスタートラインの私の背中を押していただきたい…踏み出す勇気を与えていただきたい…

 以上、決意を期しお願い申し上げる次第です。

 共に語り合い、共に考え、共に悩み、共に酒を酌み交わし、共に明日の農業を拓いていきましょう。
 がんばります!がんばりましょう!

 2,000名を前にした全青協副会長立候補表明は、2階に北海道、十勝の盟友を最前列の正面に観て震える足と心を奮い立たせ、約1,000文字のノンペーパーの3分間…(今なら覚えるのに一週間はかかるかも…)
 全青協事務局の伊藤氏が「つかみの“体重要件”は、ヒラ節でしたね〜」とか、梶沢氏(H16、17十勝地区会長)や後輩達の「鳥肌が立ちました!」とか、司会の女の子の「感動しましたよ!ステキでした!がんばって下さい!」とか、色々なものを手に入れる日比谷のステージは、今にして北の大地との距離を幾分縮める事に役に立ったのではないかと、少しの自負を持つものです。

【このへんでもういいんじゃない…】
 H17年、道青協会長の2年目。
 全青協50周年や政策議論で作文ばかりの前年からみて、全青協副会長のこの年はまさに実践と行動の一年でした。
 ジュネーブへのマーチ(7月)、ブロック統一行動の、ちゃりんこリレー(8〜11月)、WTO香港閣僚会議の青年部代表団長(12月)などは、H17放談コラムで紹介していますが、意にせず思いがけない方向に舵を切ることになってしまったきっかけが、全青協初の現地視察を兼ねた理事会を北海道は十勝で行ったことでした。

 実はこの年、全青協理事者が当事者として関わる政策議論は、早い段階からフリーズしてしまいました。米に関わる理事がごく少数だったのと、“品目横断”の当事者議論が府県では後発でしたから、『ヒラ、何言ってんの?』的な感度だったはずです。(今もかも…)
 結果的に現地視察理事会の月内、熊本市で開催される全国委員長会長会議の土地利用部会で、藤木氏(H17全青協会長)が
「このままだと、北海道にやられてしまいますよ!」
を、言い北の政策議論の高さを表現すると同時に政策議論の対称軸を明確にしていくのですが、同時にこの月の放談コラム7月号の〜

【三上】経営所得安定対策では、稲作農家において、転作麦、転作大豆を包含した安定対策でないと意味を成さないのではないか。
【平】転作麦、転作大豆を、今まで本気で作ってこなかったつけを国民が負担してきたことを反省するのが先だ。その認識がなければ、米政策改革は進まない。少なくとも、北海道畑作の“本作”麦、“本作”大豆は生産者の努力している次元が違う。そうしなければ食べていけないし、それが産地の生産責任だからだ。

〜の、表現が某稲作農家の盟友から批判を受け
「…こちらでは、皆忙しいから太っているヒトはいません…」
と、切り替えされ道青協HPの掲示板は途端に賑やかになるのです。
 私も、別に完全スルーを決め込むつもりでもなかったのですが、このやりとりをヒラリーが見て、
「あなた…もう、このへんでいいんじゃない?」
と、つぶやく言葉に肺腑が締め付けられる想いをするのでした。

 自身が、どのステージに向かうときも『今しかできないんだから、思い切ってやりなさいよ!』と、言ってくれた彼女がそれを言うのです。
 てっきり、
「ほらごらんなさい!健康管理に無節制で太るからそんな風に言われるのよ!悔しかったら、痩せなさい!」
と、ハッパをかけるのだとばかり思っていたらその答え…

「今まで貴方は端から見ていてトントンと求められるがままに上りつめていったわよね…でも、それは家族をね…これだけ犠牲にしていることなのよ…特に子ども達は思春期だし…。でも、そんなものと比べようがないほどの大きなものを背中に背負ってがんばってきているのでしょ?…わかるけど、そんな風に言われるのだとしたら、もうこの辺が限界なんじゃない?」

 眉間にしわ寄せて帰宅する父が、子ども達にはたまらなく辛かったようでした…わかっていたけど、わかっているのだけど、“北海道の常識、東京の非常識”を正対して『やるべきことをやり、でるべきところにでて、言うべきは言う』を、実践してきたつもりでしたが…そこまで、家族を追い込んでいたことを知り、起つ場所を失う想いをするのです。

“努力している次元が違う”〜誤解の無いように整理しなければなりませんが、一所懸命やっている稲作農家を揶揄したものでなく、あくまでも“捨て作”批判を言うのです。
 確かに、インパクトの強い表現で訴求力のある議論を仕掛けていったのは事実でした。それは、いわゆる従前の米政策に対する稲作農家の主張の“裏”をかくキラーパスだったかも知れません。『米の事を知らなければ農業政策議論は語れないし、正しい方向に行かない』と、言われてきましたが、欠落している(…と、思われる)“生活者”目線、“納税者”目線がその“裏”のキーワードであることを、主張してきたのでした。

 たとえば、
『“努力した者が報われる制度”…って、努力していない者はいないじゃん!〜っていうけど、本当にそう?補助金なんて貰ったものの勝ち!…って思ってなかったかい?』
とか、
『“本作化”?…って、今まで本気で作ってこなかったんでしょ?だいいち、自分たちのこと“本作農家”なんて言わないよ…十勝の畑作農家はそれが当たり前だから…』
とか、
『“売れる米作り”?…って、今までどんな米作りしてきたの?原料型の畑作物だって実需者に“買ってもらえる”ものを作ってきているのに…』
とか…
 場合によってはあげ足取りになる表現だったかも知れませんが、それは新得のタイラさんが言っているのではなく、多くの“生活者”や“納税者”がそう思っていることを気付かなければ、たとえ一所懸命努力している米農家だって、この米政策の潮流のなかでは報われないと思うのです。

《コラムinコラム》
〜たとえば、昨年(H19)末に組まれる農水対策の補正予算1,111億円のうち500億円はいわゆる転作奨励策(過剰作付け対策)。それも“フミキリ料”として、生産調整に協力した生産者に支払われるものなのだそうです。
 少なくとも、北は9割以上の生産者が集荷円滑化対策に加入していて結果的に豊作だったとしても、“守っているものは守っている”であって、そうでない者にペナルティーがあったとしても、補助金需給の対象者になるなんてことは北の生産者的にはあり得ないことではないでしょうか?ちなみに、フミキリ料として北に交付されるのは1%…、5億円程度とのこと…
 ついでを言うと、畑作対策だと、“達成対策”として、アローワンスを超える超過分の農産物については別途、隔離精算していて、それが産地を作ってきている最低限のルールなのだと思うのです。
 そうやって、北は米も、畑も、牛乳も需給のミスマッチに産地や生産者は汗を流してきているのに…そんなことが、まかり通ってしまう“東京の非常識”に北の稲作農家だって正面から闘わなくてはならないはずです〜

 僚友、谷村氏、中原氏、中田氏(H16道青協副会長)、杉山氏(第28代道青協会長)の顔を想い浮かべると、自身の米政策改革に対する言動は違う表現が今にしてあるのかもしれないと思うのですが、いずれにしても言葉が足らないばかりに多くの人を傷つけてしまい、同時に傷ついてしまった自身の思慮の足り無さを恨むしかないのでした。

【付き合う覚悟】
 それでも、“品目横断”の当事者としての注目度が増す中、H17年6月、地元筒井温泉での現地ヒアリングで農水省幹部に品目横断の
「輪作のことを考えると、今、“デジタル”な数字が示されていないのは話になりません!」
と、つめより、結果としてその年の秋の『畑作政策価格要請運動』の前までには原案を示していきたい…と、約束をいただくも郵政民営化の是非を問う9月の総選挙という政局にイレギュラーが発生してしまい、北海道畑作農家に示されるべき“数字”は約半年…後に倒れることになるのです。

 しかも、全青協は7月の現地理事会をうけて『このままでは北海道にやられてしまう!』を、自己消化しないまま、むしろこの政治的空白はラッキーだったとして、永田町とベッタリになっていくのです。

 実はこの9月の選挙の少し前、食料自給率の向上対策や環境保全にかかる生産者規範を評価する議論の導入部分で府県の全青協理事者と北海道意見が正面からぶつかり、整理されないまま全青協農業政策提言書のペーパーをまとめて、だったら『北は北でやるからいいもん〜』と、やる気ナシ無しを見透かすように、ある理事者に
「北の品目横断ばかり言わず、もう少し“米”とうまくやれなかったら、全青協会長候補として推せない…」
を、言われていました。  いざと言うとき、難しくも悩ましい政策議論は北に『丸投げ』のくせに、構造改革が遅れている…と言われている府県の米と、ナアナアにしてくれ…などと『府県の非常識』につきあうほどお人好しではありません。

「やる気がない、と映ったのだとしたら謝ります。ただ、だったら北の『H16 基本農業政策確立に向けた提言書」を読んで欲しい!既に昨年お配りしているものです。もし、読んでいない、知らないというのだったら、そもそも政策議論で云々を言う次元ではありませんよ。
 北はH13からこの議論を止めないでやっているのですから、その部分は譲れない!それで、推せないと言うのなら推さなくてけっこうです。恋々とするところはありませんから…ただ、何がどう正しいか、そうでないかをしっかり見ていないとダメですよ!私達だって生産者であると同時に、生活者であり、納税者であるのですから…」

 売り言葉に買い言葉だったでしょうか…賞味期限が切れかかる中にあってもそこは若気の至りだったのかもしれません。

 そして、迎える10・18/自民党基本農政小委員会での団体意見表明(コラムH17永田町の秋号参照)は後段の自民党農水委員長室のやり取り(コラムH19、6月号)で、神経をすり減らし青年らしい(と、自分では思っていた)清く正しいことが出来なくなるのです。
さらに、次年度(H18)全青協副会長候補を宮崎から起てる…と、九州ブロックが早々と10月の全青協委員長・会長会議時に非公式に表明するのを受けて、藤木会長に心情を吐露しました。
ヒラ「だったら…という架空の話をするのは意味がないかもしれないけれど、もし中川経産大臣がラミーとポートマンと握手していたら、北は全青協脱退だし、十勝地区青協は道青協を休会するでしょう…永田町と付き合うってそういう覚悟がいるということでしょう…もし、先月の総選挙で松岡センセイが落選したら藤木さんだってこの立場で東京にこられないはず…それぐらいの覚悟で選挙カーにのっていたのでしょ?」
藤木「そうです…」
ヒラ「結果、そうはならなかったけれど正直、そんな覚悟は自分にはありません。賞味期限のあるうちは、特に政策議論の理論武装は北は曲げるつもりはありません。そこは、譲れない…
 でも、少なくとも、新年度はニュートラルであるべきでしょ…。いっしょにジュネーブを歩いた仲間に選挙はさせられません。矢木−坂元ツートップに託しましょう…」

 10月、東北・北海道ブロックの委員長たちに、このことを報告すると宮城の遠藤委員長(誕生日がいっしょ…)が
「ふざけるな!そんな話、のめるわけないだろー!」
をいわれ、泣きながら謝りました…(銀座のホステスにヨシヨシしてもらったりしたけど〜)
 12月の香港からの帰路、僚友長村理事(京都)に
「期待に応える選択肢ってないやろか…そんなん平さんらしくないで…」
をいわれ、それでも自分が一番悪いんです…としかいえなくてハンベソかいていたり…

 あれから三年…今だから話せることは振り返ってみると、自分のダメさ加減でシクシクしてばかりいましたが、それもまた良い想い出になってきました。“時薬”とはまさにこのことなのでしょう…

【出逢いに助けられ】
 H18からは道青協参与を仰せつかり、半ば以上現役のものではなくなりましたが、卒業間際になってたくさんの出逢いに現役以上に楽しく、小さくとも人生の真実をたくさん手に入れることができました。
 新たな出逢いは明日を拓く可能性を持った原動力です。そんなことを、作文につづり自己発信の手段として始めたコラムも、思いがけずまとまったボリュームになりました。それもまた、伝えることの難しさを証明しているのでしょう。

 そんなコラムに、多くの感想や激励を送っていただきました。
 やりきったと思っている、自身のそう小さくもない背中や肩はどんな風に評価されていたのかは、コラムファンの心の中にあるのかもしれませんが、すばらしい出逢いに助けられ、たぶんこれからもそういうものに支えらていくのだと思います。

手に触れるもの、目に見えるもの、身体に感じるすべてのもの…森羅万象の息づきの中で、生きとし生けるものの体温を感じ、たくさんの夢を見てきました。
 ヒトはそんなものからみて、小さい…そして儚くて脆い…でも、小さいからこそ、脆くて弱いからこそ、大きな夢を見てしまいます。
 私たちを動かしているのは、そんな儚くとも大きな夢だったりするのではないでしょうか…
出逢いから生まれる夢を希望にして、読者の皆様の新しい春と明日が幸多かれしことを祈念しまして、永い間のご愛読に感謝してお約束いたしましょう〜

 また、別なステージで笑顔できらめく再会ができることを…

 ありがとうございました。

Copyright(C) 2007-2008 ひら農園 All rights reserved.

inserted by FC2 system